中岡清之助とみえるのが初例。フルネームでは元治元年三月十四日付書簡が初。他に石川姓と諱を組み合わせたもの、「石川正」と署名した例もある。・西山頼作 [9]伝記・略伝にのみ見える変名。元治元年(1864年)京都の中沼了三塾潜入のさい用いたとされる。・寺石貫夫 [10]黒田嘉右衛門宛書簡その他にみえる変名。西郷隆盛と初会見のさいにも用いており松岡司氏の『中岡慎太郎 大輪の回天』によると他に「寺石鈍蔵の使用をにおわしていたこともあ」る由。・大山彦太郎 [11]土方楠左衛門『回天実記』慶応元年(1865年)一月二四日条にみえている変名。憶測を勝手にたくましくするなら、これは筑前国太宰府を経て同国久留米で自刃した勤王の志士「高山彦九郎」をもじった変名ではなかろうか。・石川二蔵 [12]慶応ニ年九月二五日付伊地知壮之丞書簡に「昨夜石川二蔵氏同道」とみえる変名。使用例はこれだけか。・横山勘蔵 [13]慶応三年六月下旬ごろから使用例のみえる変名。陸援隊が京都の白川藩邸にはいるのがこの頃なので、それにちなむ変名だろうか。自署する例は少ないが岩倉具視など公家の日記にはこの変名で登場することが多い。・横山正太郎 [14]陸援隊士松林織之助が明治二五年(1892年)以降に記したとみられる『旧友覚書』に載る変名。似ている「大山彦太郎」の誤記や記憶違いの可能性もなくはないが一往記す。
福五郎儀内々源平惣領ニ相立申度とある。ここでは松岡司氏の福五郎説にしたがう。
中岡慎太郎藤原道正とみえる。系譜的根拠は不明。
慎太郎を名のるころにはもうりっぱな迂山という号があると『中岡慎太郎伝 大輪の回天』で述べているので私が単に初期の使用例を把握していないだけかも知れない。
中岡清之助とみえるのが初例。フルネームでは元治元年三月十四日付書簡が初。他に石川姓と諱を組み合わせたもの、「石川正」と署名した例もある。
寺石鈍蔵の使用をにおわしていたこともある由。
昨夜石川二蔵氏同道とみえる変名。使用例はこれだけか。
慶応三丁卯十一月十六日闘被創翌十七日死。
今般靖国神社ヘ合祀被仰付候条との達があったのは明治十四年五月二七日付。明治十六年五月には合祀の祭礼が催された。
御断ヲ遂候積リとみえる。横田達雄説のごとく正式就任はことわったか。
中岡慎太郎陸援隊始末記 中公文庫 | 平尾道雄 | 中央公論新社 |
中岡慎太郎全集 | 宮地佐一郎(編) | 勁草書房 |
中岡慎太郎伝 大輪の回天 | 松岡司 | 新人物往来社 |
高知県人名事典 | 『高知県人名事典新版』刊行委員会 | 高知新聞社 |
維新土佐勤王史 | 瑞山会(編) | 日本図書センター |
土佐維新史料 書翰篇(ニ) | 平尾道雄(編) | 高知市民図書館 |
中岡慎太郎 | 尾崎卓爾 | 陽明社印刷所 |
樋口眞吉日記「遣倦録 愚菴筆記」 | 横田達雄(編) | 県立青山文庫後援会 |
維新土佐勤王史のウソ・マコト | 横田達雄 | 横田達雄 |
陸援隊士の維新後の消息判明 高知県の中岡慎太郎館で公開 | 高知新聞H27.02.20 | |
武市半平太の剣術免状現存2016年4月まで高知市の「龍馬の生まれたまち記念館」で展示 | 高知新聞H27.12.23 |
(平成某年某月某日識/平成二九年四月十一日訂)