明治元年(1868年) | ||
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豊範 | 一月三日 | 山内容堂、徳川慶喜の上京について意見書を朝廷に提出 |
四日 | 山田平左衛門・山地忠七ら、山内容堂の発砲禁止令を無視し鳥羽伏見戦へ薩長側について参戦 | |
八日 | 山内容堂、征討令に対し誓約を誓う | |
同日 | 乾退助、迅衝隊大隊司令に任ぜられる | |
九日 | 前野久米之助、東山道鎮撫総督府参謀に任ぜられる | |
一一日 | 土佐藩に朝廷から高松松山征討の令が下る | |
一三日 | 土佐藩兵、高知城下を出立 | |
一四日 | 佐々木三四郎が率いる海援隊、長崎奉行所を占拠 | |
同日 | 山内容堂、朝廷より内国事務総裁に任ぜられる | |
同日 | 山内豊福、本藩と幕府との板挟みに悩み江戸麻布邸に自刃 | |
一五日 | 沢村惣之丞、薩摩藩士川端平助を暴漢とみて射殺した責を負い長崎に自刃 | |
一七日 | 山内容堂、政府から内国事務総裁に任ぜられる | |
一八日 | 乾退助が率いる土佐藩兵、高松城を接収 | |
二一日 | 吉井源馬・山本復輔ら、天草諸島で乱暴を働いた花山院隊を鎮撫する | |
二三日 | 細井半之助、幕臣戸川伊豆守から託された徳川慶喜より山内容堂宛の救解依頼書を京都に届ける | |
二五日 | 山内容堂、徳川慶喜からの救解依頼書を朝廷に提出 | |
二七日 | 深尾左馬之助が率いる土佐藩兵、松山城を接収 | |
二月三日 | 朝廷より関東親征令が発せられ、土佐藩は東海道先鋒総督府に属する | |
九日 | 乾退助、東山道先鋒総督府参謀に任ぜられる | |
一四日 | 土佐藩兵、東山道先鋒総督府に所属し京都を出立 | |
一五日 | 堺に上陸したフランス船デュプレー号の水兵が土佐藩の隊旗を奪い逃走したためこれを銃撃(堺事件) | |
二三日 | 堺事件の責を負い山内豊範の謝罪と賠償金十五万ドルの支払い、西村左平次・箕浦猪之吉ら十一名が切腹する | |
三〇日 | 後藤象二郎、パークスらと紫宸殿に参内する途上行列へ斬り込んできた十津川郷士三枝蓊・山城国住人朱雀操を撃退 | |
三月四日 | 土佐藩兵、因幡藩兵と共に甲府城を接収 | |
六日 | 土佐藩兵、近藤勇ら甲陽鎮撫隊を撃破 | |
一四日 | 福岡藤次らも関わった五箇条の御誓文が発表される | |
一五日 | 土佐藩兵、江戸にいたる | |
一五日 | 土佐新田藩兵、江戸において宗藩の土佐藩兵に合流 | |
四月 | 藩札(十匁・十五匁・二十匁・二十五匁・三十匁・四十匁・四十五匁・五十匁の銀札)を発行 | |
一四日 | 山内容堂、病のため京都を離れる | |
一八日 | 長岡謙吉、朝廷に対し海軍創設の建白書を起草 | |
五月 | 藩校において鑓術・居合・組打・軍太鼓・兵学の教授を廃止する | |
一七日 | 土佐藩兵、佐賀藩兵と共に会津藩内通の嫌疑がかかる真岡の代官所を襲撃 | |
二四日 | 山内容堂、藩内の佐幕派に対し諭告文を発する | |
二七日 | 野中太内、山内容堂の諭告に服さず自刃を命ぜられる | |
六月 | 藩札(一匁〜十匁までの銀札)を発行 | |
同月 | 兵制をイギリス式に改める | |
三日 | 山内容堂、京都にて再び議定に任ぜられる | |
八月二二日 | 土佐藩兵、薩摩藩兵らと会津藩領への進攻を開始 | |
九月一六日 | 山内豊誠、九代目土佐新田藩主となる | |
一九日 | 山内容堂、議事体裁取調所総裁に任ぜられる | |
二〇日 | 山内兵之助、山内豊範の名代として東京行幸に先駆け京都を出立 | |
二三日 | 山内容堂、明治天皇の行幸にともない京都を出立 | |
二四日 | 土佐藩兵が参加する政府軍、会津若松城を接収 | |
一〇月 | 藩札(十匁・五十匁・百匁の銀札)を発行 | |
三日 | 山内兵之助、行幸にともない東京にいたる | |
九日 | 山内容堂、明治天皇の行幸にともない東京にいたる | |
一九日 | 土佐藩兵の全軍が東京への帰着を果たす | |
二七日 | イカルス号事件の犯人が福岡藩士金子才吉であることが判明する | |
一一月二〇日 | 山内容堂、議事体裁取調所総裁と学校取調係を兼任 | |
一二月一三日 | 山内容堂、議事体裁取調所総裁と学校知事を兼任 | |
明治二年(1869年) | ||
豊範 | 一月二〇日 | 薩長土肥の四藩主、版籍奉還を建白 |
二月一五日 | 松下与膳・前野悦次郎、四国会議所開設のため遊説使として土佐を出立 | |
三月一三日 | 山内豊範、版籍奉還について親書を布告する | |
二〇日 | 家老以下諸士の知行扶持を削減 | |
四月九日 | 乾退助、東京に上り新政府参与に任ぜられる | |
一〇日 | 四国十三藩会議が土佐藩の主導により讃岐国丸亀にて開催される | |
一七日 | 山内容堂、議事体裁取調所が制度寮に改められ学校知事と兼任 | |
五月七日 | 山内容堂、上局議長に任ぜられる | |
一三日 | 後藤象二郎・乾退助、官吏公選の入札により参与に選ばれる | |
一四日 | 山内容堂、官吏公選の入札により再び学校知事に選ばれる | |
同日 | 佐々木三四郎、官吏公選の入札により刑法官副知事に選ばれる | |
六月二日 | 土佐藩関係者ら、戊辰戦争の軍功賞典において約四万千五百石の永世禄と約七千五百両の褒賞金が下賜される | |
一七日 | 山内豊範、版籍奉還が勅許されたことにともない高知藩知事となる | |
二五日 | 政府令により武家階級を廃し士族と称するも土佐藩はこれに等級を定める | |
九月二六日 | 土佐藩関係者ら、王政復古の功臣賞典において約千五百石の永世禄と約五千石の終身禄、約五百両の褒賞金が下賜される | |
一〇月 | 不安定な国情の統一と中央政権の確固たる確立を政府に建言 | |
同月 | 政府から浦上天主教徒百二十名の身柄を預るよう命じられる | |
同月 | 兵制をフランス式に改める | |
六日 | 讃岐国琴平にて第二回の四国十三藩会議が開催される | |
一一月二九日 | 海軍局を設置 | |
三〇日 | 募兵選挙法を定める | |
一二月 | 両替所を設立 | |
同月 | 政府に藩の病院として吸江病院の建設を請願 | |
同月 | 士族の等級別に衣服や羽織に用いる紐の色を規定 | |
二日 | 諸士の土地私有を廃し蔵米支給制に改める | |
明治三年(1870年) | ||
豊範 | 一月一四日 | 福岡藤次、土佐藩権大参事度支局主務に就任 |
二四日 | 開成館を閉鎖し寅賓館と改める | |
二月二三日 | 山内豊範ら、鹿児島を訪問し薩摩藩知事島津忠義と面談、時務策として三策を提唱 | |
二四日 | 山本旗郎、水戸藩士族住谷七之允・住谷忠次郎らに父の仇として東京に討たれる | |
三月 | 乾作七・森脇唯次郎、山内豊範の使者として長州藩を訪問、上記の時務策を進達 | |
同月 | 藩の議会として議局を開設、旧上士らの代表者を議員とする | |
四日 | 知事府を藩庁と改め各司を設ける | |
四月 | 医学生の教育実習機関として吸江病院の建設に着工 | |
同月 | 幡多郡岩田および十川にて一揆がおこる | |
同月 | 語学教授としてイギリス人ヘリアーを雇う | |
五月 | 藩の議会として開設した議局を廃止 | |
六月 | 福岡藤次の構想・周旋により藩の議会として衆議所を開設、高知城下町方役人と近郷村方役人を議員とする | |
一〇日 | 谷守部・片岡健吉、藩政改革の意見を具申するため東京へ出立 | |
七月 | 藩札(一朱・一分・一両・五両の金札と十二文・五十文・百文・二百文の銀札)を発行 | |
同月 | 医学教授としてイギリス人ボジャーを雇う | |
同月 | 教育兼語学教授としてイギリス人マイヤーを雇う | |
八月一日 | 藩境通行の自由を認める | |
同日 | 谷守部、軍務局の財政改革のため十八ヶ条の改革案を藩庁に提示 | |
九月 | 政府令により士族等級制を廃止 | |
一四日 | 乾退助・後藤象二郎・岩崎弥太郎ら、谷守部の改革案を中止させるべく東京を出立 | |
二五日 | 土佐新田藩が廃藩となる | |
二七日 | 政府より四国会議所の解散を命じられる | |
一〇月 | 士族に商業を許す | |
二日 | 谷守部、改革案に反対する乾退助に対し意見書を送る | |
閏一〇月 | 兵学教官としてフランス人アントアンヌを雇う | |
同月 | 制靴工人としてオランダ人チャールストンを雇う | |
二四日 | 乾退助・福岡藤次、それぞれ大参事と権大参事にのぼる | |
一一月三日 | 乾退助・福岡藤次の主導により作成された大改革案を政府に提示 | |
一二月 | 藩の議会として議事院を開設、上院には士族の代表をあて下院には平民の代表者をあてる | |
二四日 | 四民平均の理を宣言、藩制改革をおこなう | |
二五日 | 藩札の使用を停止する | |
同月 | 藩校での剣術課程を廃止する | |
明治四年(1871年) | ||
豊範 | 一月一七日 | 土佐へ西郷吉之助・大久保一蔵・桂小五郎らが来訪 |
一九日 | 薩長土三藩の代表者ら、政府の政権確立について会談 | |
二〇日 | 山内豊範、上記の会談における結果を万事了承する | |
二八日 | イカルス号事件の解決にともないパークスが先の冤罪と真相調査について山内容堂にあて礼状を書く | |
二月八日 | 薩長土三藩の代表者ら、親兵貢献の必要性を三条実美に進言 | |
一三日 | 政府から薩長土三藩に親兵貢献が命じられる | |
一七日 | お雇い外国人の氏名や給料を外務省に報告 | |
三月七日 | 山内神社が落成 | |
四月二八日 | キリシタン宗門改を廃止する | |
五月 | 士官学校および兵学校を創設 | |
一〇日 | 山内容堂、箱根遊行に出立 | |
二二日 | プロシア船が浦戸に漂着 | |
七月一四日 | 政府から廃藩置県令が発せられ土佐藩は高知県に改称 |
(平成某年某月某日識)