『六代勝事記』は鎌倉時代に成立した歴史物語。書名の「六代」は高倉(高倉院)・安徳・後鳥羽(隠岐院)・土御門(阿波院)・順徳(佐渡廃帝)・後堀河(当今)の各天皇六代をさし、「勝事」は吉凶両事にもちいられるマレ・ケウな出来事の意味。本書ではもっぱら後者の意にもちいられる。
後白河天皇治世「保元の乱」より筆をおこし、「平治の乱」、ついで高倉天皇以下六代の諸事件について記される。現行第85代天皇とされる仲恭天皇はこの六代にふくまず、後堀河天皇期については実質筆がおよばない。
本書に記載される出来事のうち、年次的にもっとも新しいものは、土御門天皇の阿波国御遷幸記事(『愚管抄』はこれを貞応元年五月のこととし、『吾妻鏡』は貞応二年五月のこととする。なお『百錬抄』の記事は除外)である。これと貞応の今にいたるまで
という記述から、本書は貞応元年五月以降または貞応二年五月以降、貞応三年一一月二〇日の改元以前に成立したものと判断される。
どちらかというと『愚管抄』の記事は伝聞・記述上のあやまりとみなされ、後者『吾妻鏡』による説が優勢。
また私的憶測をたくましくすれば、執筆者は自身を「漆室憂葵」の故事中、漆室の女になぞらえている点から、それとかさなる時期および環境として、後高倉院(後堀河天皇の父)の崩御される貞応二年五月以降が妥当かと思う。
執筆者を特定する参考情報として、本文中に昔は蓬壺の月にかげをまじへ、今は蓮台の雲に望をかけたる世すて人侍り。応保の聖代に生て、高倉の明時につかうまつりしかば、年齢ようやくかたぶきて、六十余廻りの星霜をかさね
たとの記述がみられる。
執筆者はかつて公卿(蓬壺の月
=月卿)につらなり、貞応の今
現在は出家者(蓮台
=仏菩薩が座る蓮の花の台座、世すて人
=隠者、遁世者)であることが知られ、さらに応保年間(1161年〜1163年)に出生し齢は六十あまり、高倉天皇期(元号:仁安・嘉応・承安・安元・治承)に出仕経験があることもわかる。
そこで『公卿補任』・『尊卑分脈』など諸資料にあたり、以下の人物の名が作者候補としてあげられる。
一方、本文の独白を仮託とみて、上記三名のほかにも藤原定経や源光行、信濃前司行長や葉室氏ゆかりの某人を執筆者にあてる説もあるが、憶測を排し、さきの条件から帰納するかぎり、既記の三名こそが有力な候補者としてみとめられる(藤原定経は保元三年の出生、源光行と信濃前司行長は非公卿)。
そのうち藤原隆忠は高倉天皇期(安元二年)に出仕した経歴が確認され、貞応二年五月以降も生存が確認できることから、史料に徴するかぎり最有力の執筆者としてよいだろう。
ちなみに藤原長兼にせよ隆忠にせよ、人事面で後鳥羽天皇と対立した形跡が『明月記』などから知れている。
文章は和文・漢文をまじえた和漢混合文。叙述は執筆動機などにふれる序論、編年体歴史叙述部の本論、歴史叙述をうけ評論や意見の開陳におよぶ結論の三部からなる。ところどころに対句表現を多様し、駢儷体の対句表現と詩的比喩を駆使した文章に、作者教養のほどが知れる。
作者は序論に普天かきくもりしゆふだちの神なりにおどろきて、其事のわすれざるはしばしばかりをかきあつめ侍
として、「承久の乱」当時の天候(鎌倉方が京へはいった六月中旬の天候)ともかさなる執筆契機の一端を叙し、全体をつうじて儒教的徳治主義をうたう和漢書の章句を援用する。量的には六代天皇間の勝事というバランスからはあきらかにハズれ、承久の乱および後鳥羽天皇の批判に紙数のなかばを費やしている。
弓削繁氏は本書が六代の標目をかかげながら、敢えてそれ以前の保元・平治の乱から勝事を説き始めることに着目し、本書のもつ主題を「武者の世」における政治の当為を帝王の在り方に即して説くところにあるもの
と説明する。また帝王学の書として歴代天皇に進講された『帝範』・『貞観政要』などに章句の多くをあおぐ点から、本書もそれに倣い「一人」(天子)を対象に政治の当為を指し示そうとしたもの
ともする。なお、ここにおける天子とは当今の天皇にあたる後堀河帝をさす。
執筆者は本書中、承久の乱を目のあたりにした時の人
からの我国はもとより神国也。人王の位をつぐ、すでに天照太神の皇孫也。何によりてか三帝一時に遠流のはどある
という質問に対し、心有人
のこたえとして宝祚長短はかならず政の善悪によれり
との回答おうじ、王権の神性と天皇個人の徳とを別個のものと規程した。この思想は中世文学のおおく(ことに軍記物語)を媒介として、ひろく後世に影響することとなる。
ちなみに現在でも著名な挿話としてしられる源実朝の詠歌「出でていなば主なき宿となりぬとも軒端の梅よ春を忘るな」と、承久の乱における北条政子の演説は、本書が成立上確認できる最古の出典になる。
文献上、本書の名がはじめて確認されるのは『本朝書籍目録』(1200年代第四四半期以降成立)とされ、現在知られる諸本には以下のものがある。
装丁・巻数 | 用字 | 書写年代 | 蔵 | |
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内閣文庫本 | 楮紙袋綴・1巻 | 平仮名まじり | 室町末期〜江戸初期 | 国立公文書館 |
備考無 | ||||
島原松平文庫本 | 楮紙袋綴・1巻 | 平仮名まじり | 江戸初期 | 島原図書館 |
備考無 | ||||
聖藩文庫本 | 楮紙袋綴・1巻 | 平仮名まじり | 江戸中期 | 加賀市立図書館 |
備考無 | ||||
東大総合図書館本 | 厚紙簡易製本・楮紙袋綴・1巻 | 平仮名まじり | 江戸末期 | 東京大学総合図書館 |
群書類従本が底本 | ||||
『八洲文藻』所収「はし書」 | 宮内庁書陵部 | |||
群書類従本が底本 | ||||
群書類従本 | 版木は温故学会 | |||
中山信名本が底本 | ||||
中山信名本 | 行方不明 | |||
備考無 | ||||
彰考館旧蔵本 | 戦災のため焼失 | |||
備考無 |
(平成一九年九月二三日識/平成一九年九月二五日訂)