本居宣長が著した国学入門書(ただし宣長は「国学」や「和学」という呼称を好まないので、以下では誤解を避けるため必要の場合には書本文にもみえる「皇朝学」の表記をもちいる)。
師である賀茂真淵の『にひまなび(邇飛麻那微)』(明和二年-1765年-成立)とは、初学者にたいする手引書として意図するところは同工異曲だが、内容をみると前者『うひ山ぶみ』は説く論が後者より詳細で、説明される分野も皇朝学全般から特に道の学問
への関心がつよい。逆に後者『にひまなび』は万葉歌と古人の気風(丈夫
・手弱女
など)にたいする関心がつよい傾向にある。
本書は宣長晩年の著作であり、見解をのべる学問の分野がひろいこともあって、宣長の思想について研究をする場合、他の著作にみえる見解を修正・補完する資料としてつかわれることが多い。
本居宣長。
執筆当時の通称は「中衛」、屋号は「鈴屋」。
寛政十年一〇月二一日。
成立の事情は、本書巻末の記載から弟子たちの懇請によるものとしられ、ライフワークともなっていた『古事記伝』全四十四巻の完結した年(寛政十年-1798年)一〇月八日に第一稿を起筆し、一三日に成稿をみる。同日そのまま第二稿の筆をおこし、二一日にはこれも成稿。二六日から版木の下書きをはじめ、翌年には永楽屋東四郎より刊行された。草稿本としてべつに『濃染の初入』(コゾノハツシオ)が存在する。
うひ山ぶみ。
書名は巻末の和歌いかならむ うひ山ぶみの あさごろも 浅きすそ野の しるべばかりも
に託つけた命名で、外題では万葉仮名の「宇比山踏」、内題では「うひ山ふみ」と表記される。稿書の時点では欄外にマナビヤウノ法
・マナビヤウノ次第
との文字が見え、べつの草稿本には『濃染の初入』の名もある。
本文では始めに皇国の学を
神学。
有識の学。
六国史其外の古書をはじめ、後世の書共まで、いづれのすぢによるともなく学ぶ文献学的国史学。
歌の学び。
の四つの分野にわけたうえで、学問はただ年月長く倦ずおこたらずしてはげみつとむるぞ肝要
と説き、学びやうはいかやうにてもよかるべく、さのみかかはるまじきこと也
としながらも、己が教によらんと思はん
初学者のため、総論的な学習の方向性・方法を説明し、ついで各論へすすんでいく。
論は各々にイロハ符号を付し、大小あわせ
とる手火も 今はなにせむ 夜は明て ほがらほがらと 道見えゆくを)に託して述べるくだり。
五十音のとりさばきと述べた具体的な中身と、所謂かな遣いについて述べるくだり。
といった30項目よりなっている。
ちなみに本書の補遺的なものに『玉勝間』の十二巻に物学びはその道をよくえらびて入そむべき事
の一節がある。
本書にみえる史料名全46書+αを出処順にしたがい下へ掲げる。名称は一般的ないし正式とみられるものを見出し語とし、「六国史」や「宣命」など総名・部分名的用法はカッコでくくり区別した。
(平成二一年一月二五日識)