慶応元年(1865年) | ||
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二八歳 | 一月一日 | 同志らと新年を祝い、簡単な酒宴を開く |
二日 | 伊佐に至り、佐世八十郎と面談 | |
同日 | 同地の鑓隊がもよおす酒宴に参加し大酔 | |
三日 | 山県三左衛門・三村伝蔵らに面談 | |
五日 | 河原に戻る | |
八日 | 諸隊らと大田に移動 | |
九日 | 長府にいる早川養敬をたずね、その警護をかね下関の大坂屋へむかう | |
一〇日 | 下関に至り、高杉晋作らと面談 | |
同日 | 早川養敬と料理屋にいたところ、真木菊四郎の訪問をうける | |
一一日 | 長府へ帰着したのち再び下関に向け出立 | |
一二日 | 長府へ帰着 | |
一四日 | 五卿の筑前渡海に随従し、福浦に宿泊 | |
この頃 | 変名「大山彦太郎」を使い始める | |
一五日 | 五卿らと筑前黒崎にいたる | |
一六日 | 真木外記・淵上謙三らと博多へ向け出立 | |
一七日 | 博多へ至り、甘木屋に到着 | |
同日 | 鷹取養巴に面談 | |
同日 | 伊丹真一郎・今中作兵衛らの訪問をうけ面談 | |
一八日 | 伊丹真一郎・今中作兵衛らの返答をうける | |
一九日 | 五卿のいる赤間へ帰着し、これに拝謁 | |
二〇日 | 小金丸藤八の訪問をうけ面談 | |
二一日 | 筑前より五卿の待遇について法令が届く | |
同日 | 五卿随従者ら、上記の法令に憤り直ぐさま返却 | |
二三日 | 五卿の待遇について会議が催され筑前に使いを送る旨が決まる | |
二四日 | 池神定七と共に赤間から博多へ向け出立し、縫屋三平方に宿泊 | |
二五日 | 小金丸藤八に面談 | |
二六日 | 小金丸藤八・小金丸兵次郎らの訪問をうけ、五卿の待遇について不当を論じる | |
二七日 | 早川養敬の訪問をうけ面談、策を議し赤間へ使いを送る | |
二八日 | 清岡半四郎、慎太郎のもとへいたる | |
二九日 | 清岡半四郎が赤間へ戻り、真木外記の訪問をうける | |
同日 | 博多に来着した大久保一蔵・吉井幸輔・税所長蔵らに面会、筑前藩の不当をならし使いを赤間に送る | |
三〇日 | 筑前政府に対し藩主への拝謁を願う一書を送る | |
同日 | 藩主拝謁について小金丸藤八が来訪、これに返答を求める | |
同日 | 小金丸藤八、慎太郎と面談したのち再び慎太郎をたずね返答を伝える | |
同日 | 土方楠左衛門・清岡半四郎、慎太郎のもとへいたる | |
同日 | 大久保一蔵・吉井幸輔、五卿の待遇について論じるため久留米へ出立 | |
二月二日 | 吉井幸輔の宿をたずねる | |
三日 | 小金丸藤八から再び返答をうけ、土方楠左衛門は赤間へ戻る | |
同日 | 中村円太の死についてふれた手紙を月形洗蔵にあて書く | |
四日 | 博多から赤間へ帰る | |
五日 | 博多から帰着し、土方楠左衛門をたずね面談 | |
同日 | 三条実美より京都出張の命をうけ、土方楠左衛門・吉井幸輔らと赤間から小倉へいたる | |
六日 | 小倉から船に乗り込むも天候不順により同地に宿泊 | |
七日 | 下関へ上陸し、伊勢屋において原田隼次・井上庄助・淵上謙三・真木菊四郎らに面談 | |
同日 | 林亀亭に移り宿泊 | |
八日 | 井上少輔・原田順次より面談を要請され、長府役所におもむく | |
同日 | 船で白石正一郎方に至り、土方楠左衛門・吉井幸輔・井上少輔・長原順次・赤根武人・三好内蔵助・大庭伝七らと薩長同盟について会談、酒を酌み交わす | |
同日 | 夜に港を出帆 | |
一〇日 | 途中で津和に逗留し鞆に至って宿泊 | |
一一日 | 下津井にて水塩を購入し、再び出帆 | |
一二日 | 大坂へ至り、坂本龍馬らの動静を聞き寅屋に宿泊 | |
一三日 | 淀川から伏見をへて夜になってから入京、京都薩摩藩邸に入る | |
一四日 | 在京の人々から情報を集めた吉井幸輔に面談し、京都情勢を聞く | |
同日 | 因州藩邸に向かい同藩の松田正人から天狗党の挙兵について情報を得る | |
同日 | 橋本鉄猪・千屋金策・正親町三条実愛などに関するの情報を得る | |
一五日 | 松田正人の訪問をうけ、会津藩の東下について情報を得る | |
一六日 | 土方楠左衛門と共に内田仲之助・大久保一蔵・関川某・住谷寅之介親子・丹羽豊前守らをそれぞれたずねる | |
同日 | 吉井幸輔の訪問をうけ面談 | |
一七日 | 吉井幸輔から猪肉を一足もらい、焼いて食す | |
同日 | 松田正人をたずね面談、情報を集める | |
一八日 | 薩摩藩士内田仲之助をたずね、関川某と共に青木晟三郎をたずねる | |
一九日 | 夜に伊知地正治をたずねる | |
二〇日 | 吉井幸輔と面談したのち、松田正人をたずねるも不在 | |
同日 | 住谷七允・山口徳之進・酒泉彦太郎・加藤某・岩間金平をたずね面談 | |
同日 | 岡部少蔵に出会い、青木晟三郎をたずねるも不在 | |
同日 | 夜に吉井幸輔と面談 | |
二一日 | 吉井幸輔・税所長蔵らと島原に遊ぶ | |
二二日 | 薩摩藩邸へ戻り大久保一蔵をたずね、吉井幸輔・伊知地正治・税所長蔵らと酒席にて会談 | |
二三日 | 土方楠左衛門を京都に残し、吉田清右衛門と大坂へ至り、松屋に宿泊 | |
二四日 | 市中を廻りながら書籍などを購入し、兎角亭にて一酌 | |
同日 | 大坂の土佐藩住吉陣営に一書を投じようとするも失敗、のち松屋に戻り宿泊 | |
二五日 | 内田仲之助が大坂へ至り面談、朝廷内の情勢を伝えられる | |
二六日 | 内田仲之助・吉田清右衛門・町田某・加藤某らと兵庫に至り、楠正成の墓を詣で同地から胡蝶丸に乗船 | |
二七日 | 始めて蒸気船に乗り込み、その早さに感心 | |
同日 | 胡蝶丸、備洋田島海に停泊 | |
同日 | 土方楠左衛門、慎太郎からの手紙が届く | |
二八日 | 吉田清右衛門、慎太郎らと別れ御手洗に上陸 | |
同日 | 胡蝶丸、内津田に停泊 | |
二九日 | 胡蝶丸、備前狐前に停泊 | |
三月一日 | 胡蝶丸、暴風のため引き続き備前狐前に停泊 | |
二日 | 加藤某・町田某らと胡蝶丸を下船、下関にて粟屋主税に出会う | |
同日 | 下関にて遊んだのち胡蝶丸へ帰船 | |
三日 | 胡蝶丸を下船し、博多から太宰府へ到着、五卿に拝謁 | |
四日 | 泉屋にて内田仲之助らに会う | |
五日 | 博多へ至り甘木屋にて内田仲之助・多田壮蔵・筑紫衛らと面談 | |
六日 | 馬を内田仲之助に貸し徒歩にて帰る | |
同日 | 多田壮蔵の訪問をうけ泉屋にて面談 | |
七日 | 多田壮蔵・池田某らより御馳走をうける | |
同日 | 三条実美に拝謁し、多田壮蔵と博多へむかう | |
八日 | 馬術場を拝見し、剣術修行に励んだのち多田壮蔵の訪問をうける | |
九日 | 泉屋にて諸藩の人々と面談、別れにさいし筑薩肥後酒を酌む | |
同日 | 黒田嘉右衛門にあて面談を願う手紙を記す | |
一〇日 | 武蔵湯田町および武蔵寺へ出立する五卿に随従 | |
一一日 | 多田壮蔵・北畠某らと面談、東山にて飲酒 | |
二五日 | 天神宮祭りが催される | |
二六日 | 博多にいる黒田嘉右衛門の寓居をたずね面談 | |
同日 | 伊丹真八郎の訪問をうける | |
二七日 | 黒田嘉右衛門をたずねたのち太宰府へ帰着 | |
二八日 | 五卿の使いとして森寺大和守と長州へ出立し、青柳に宿泊 | |
二九日 | 赤間にて昼食をとり、黒崎から乗船、下関にいたる | |
四月一日 | 村屋清蔵方に至り泉十郎・熊野九郎らの訪問をうけ面談、高杉晋作・伊藤俊輔の洋行計画を聞く | |
同日 | 招魂場を訪れたのち白石正一郎をたずね、利岡玄兵衛あての金子を託される | |
二日 | 長府に至ったものの殿中に差し支えありとの理由で長井屋吉介方にて粟屋族・井上藤三蔵に面談、粟屋に対し馬の借用を依頼する | |
同日 | 熊野九郎の訪問をうける | |
三日 | 馬を二頭借用し、粟屋族・井上藤蔵から金二百疋を贈られる | |
同日 | 森寺大和守に先発し萩へ向け出立、吉田に至り山県狂介と面談、夜に森寺も到着 | |
同日 | 太宰府の五卿衛士ら、筑前黒田家より金二百疋が贈られる | |
四日 | 吉田を出立し小郡に至り、林秀之進・福原内蔵允に通行願いを届け許される | |
五日 | 山口に至り、井上五郎三郎の訪問をうける | |
六日 | 広沢兵助の訪問をうけ、毛利広封に拝謁、白銀三枚を下賜される | |
同日 | 毛利広封から酒を振る舞われる、広沢兵助・山県狂介・井上五郎三郎 木梨彦右衛門らも同席 | |
七日 | 鴻城隊陣営をたずね、赤妻社へ参詣 | |
八日 | 大村益次郎と共に山県狂介をたずねる | |
九日 | 山口を出立し、舟木宿にいたる | |
一〇日 | 下関へ至り武中半太郎・渡辺某らと面談、熊野九郎らとも面談する | |
一一日 | 下関に滞留し井上聞多・伊藤俊輔らに面談 | |
同日 | 白石正一郎から利岡玄兵衛あての金子十五両を受け取る | |
同日 | 下関から船に乗り込み出帆 | |
一二日 | 黒崎へ至り古屋の瀬に宿泊、村上逸馬と面談 | |
一三日 | 博多へ至り黒田嘉右衛門・多田壮蔵・伊丹真八郎らに面談 | |
一四日 | 太宰府へ帰着し、五卿らの満盛院行に随行 | |
一五日 | 馬術場へ出たのち、清末藩からの使者として武中貫太郎が太宰府を訪れる | |
一九日 | 馬術場へ出る | |
一八日 | 黒田嘉右衛門、博多より太宰府へいたる | |
一九日 | 武中貫太郎と別杯を酌み、黒田嘉右衛門に面談 | |
同日 | 大野某が京都より帰着、赤根武人・淵上郁太郎に関する情報と早川養敬・筑紫衛が帰国したむねを知らされる | |
二〇日 | 大野某の五卿拝謁に同席 | |
同日 | 『海西雑記』に安徳天皇を悼む漢詩を記す | |
同日 | 太宰府へ安田某が訪れ、黒川嘉平・原市之進に関する情報を聞く | |
二七日 | 京都へ向け太宰府を出立 | |
二八日 | 黒崎へいたる | |
二九日 | 船で赤間関へ至り、大村益次郎・伊藤俊輔に面談 | |
三〇日 | 桂小五郎の帰藩を知り、これに面談 | |
五月一日 | 下関を出帆 | |
一五日 | 京都へいたる | |
二四日 | 土方楠左衛門らと京都を出立し伏見に宿泊 | |
二五日 | 淀川を下り岩清水八幡宮に参詣、大坂へいたる | |
二六日 | 大坂にとどまり長州藩邸のあった焼跡に参拝する人々がいる旨を聞く | |
二七日 | 引き続き大坂に滞在 | |
二八日 | 胡蝶丸に乗船し多度津に宿泊 | |
二九日 | 胡蝶丸、御手洗に宿泊 | |
閏五月一日 | 胡蝶丸、暴雨につき御手洗に停泊 | |
二日 | 胡蝶丸、田の浦に宿泊し、土方楠左衛門はここから陸行 | |
三日 | 胡蝶丸の船中にて「過筑紫灘有感」と題する漢詩を作成、船は呼子に宿泊 | |
四日 | 胡蝶丸、呼子を出帆し長崎へいたる | |
五日 | 胡蝶丸、長崎を出帆 | |
同日 | 船中にて漢詩をつくる | |
六日 | 胡蝶丸、鹿児島に到着 | |
一五日 | 西郷吉之助・岩下左次右衛門・三島弥平・八田某・鈴木某・松岡某らと乗船 | |
一六日 | 鹿児島を出帆し、兎の浦に宿泊 | |
一七日 | 引き続き兎浦に停泊 | |
一八日 | 桂小五郎と会見のため西郷吉之助に下関への寄港を要請するも失敗、佐賀関から下船し大島屋へ宿泊 | |
一九日 | 引き続き大島屋に滞留 | |
二〇日 | 下関へむかうため漁船を雇い佐賀関を出帆 | |
二一日 | 下関に至り坂本龍馬・桂小五郎・安芸守衛らに西郷吉之助が京都に直行した旨を伝える | |
同頃 | 下関に滞在中、オランダ領事応接の事あり | |
二九日 | 坂本龍馬と共に下関から京都へ出立 | |
六月三日 | 太宰府の五卿衛士らに筑前黒田家より博多素麺が贈られる | |
一四日 | 備前西大寺へいたる | |
一五日 | 藤井宿で備前藩士津田彦右衛門・小松源治の訪問をうける | |
二四日 | 京都薩摩藩邸で西郷吉之助と面談 | |
七月頃 | 杉本清蔭にあて京都から西帰する旨を伝えた手紙を書く | |
某日 | 大和十津川より上京した田中顕助の助力をうける | |
一九日 | 坂本龍馬に見送られ伏見より田中顕助と共に長州へむかう | |
某日 | 両三日間ほど大坂に滞留し、下関へ出帆 | |
二八日 | 下関に帰着し、白石正一郎方に宿泊 | |
八月五日 | 山口の桂小五郎と面談 | |
六日 | 自身の尽力を桂小五郎に伝え、辞任を思いとどまるよう激励した手紙を書く | |
七日 | 伊地知正治から頼まれていた吉田松陰の『孫子評注』を借用できるよう依頼する手紙を桂小五郎と前原一誠にあて書く | |
一一日 | 桂小五郎にあて手紙を記し京都へむかう旨を伝える | |
九月三日 | 下関へ至り、しばらく滞留 | |
一五日頃 | 太宰府へ向け出立 | |
三〇日 | 下関から父兄にあて、妻・兼に暇を与えても良い旨を伝えた手紙を書く | |
一〇月一六日 | 病中の土方楠左衛門に面談 | |
二五日 | 清岡半四郎と共に五卿の使者として尊王派投獄の報があった筑前出立の命をうける | |
二八日 | 清岡半四郎と共に太宰府へ帰着 | |
二九日 | 清岡半四郎と共に土方楠左衛門と面談、筑前の情勢を伝える | |
一一月二二日 | 清岡半四郎と共に五卿応接掛に任ぜられる | |
一二月八日 | 東久世通禧に拝謁し時勢を論じる | |
某日 | 薩長同盟のため京都へ出立する桂小五郎らを見送るという | |
同月頃 | 太宰府もしくは下関にて『時勢論』を著述 | |
慶応二年(1866年) | ||
二九歳 | 一月一日 | 五卿衛士ら、書院に召され年賀の挨拶をのべる |
八日 | 五卿に拝謁し、暫くの暇乞いを願う | |
二一日 | 坂本龍馬、京都において薩長同盟を締結させる | |
二六日 | 太宰府に慎太郎から近況を報じた手紙が届く | |
二月七日頃 | 京都から帰着した桂小五郎より京都情勢を聞く | |
一〇日 | 京都へ向け三田尻を出帆 | |
一二日 | 桂小五郎・品川弥二郎にあて坂越浦より手紙を書く | |
某日 | 京都薩摩藩邸へ至り坂本龍馬をたずね、その労をねぎらう | |
この頃 | 坂本龍馬・楢崎龍の結婚を仲介するという | |
二九日 | 伏見寺田屋より品川弥二郎・井上操六にあて手紙を記す | |
三月五日 | 三邦丸に乗り込み出帆 | |
六日 | 三邦丸で下関に至り、ここで三吉慎蔵と下船する | |
一三日 | 土方楠左衛門のもとへ慎太郎からの手紙が届く | |
一四日 | 三吉慎蔵にあて手紙を記し、面談と薩長同盟後の支藩の尽力を願う | |
某日 | 高杉晋作から漢詩を贈られる | |
二四日 | 安徳天皇をしのぶ「先帝会」を拝観し漢詩を作成 | |
二九日 | 土佐藩士が芸州へ出張して来たため、その調査を品川弥二郎に依頼する手紙を書く | |
三〇日 | 桂小五郎と共に奇兵隊の在陣する吉田に向かい山県狂介らと面談 | |
四月一六日 | 三吉慎蔵と面談し酒宴をひらく | |
一七日 | 三吉慎蔵にあて手紙を記し、昨日の失態をわびる | |
二五日 | 桂小五郎にあて近日の西帰を伝える手紙を書く | |
二六日 | 父兄らにあて土佐の米価などを気づかった手紙を書く | |
五月三日 | 桂小五郎にあて近々おこなわれるであろう幕府軍との戦いについて手紙を書く | |
同日 | 三吉慎蔵にあて、薩摩藩士らの尽力ぶりを伝えた手紙を書く | |
一五日 | 桂小五郎にあて、五卿らの安全を保護する薩摩藩士らの尽力ぶりを伝えた手紙を書く | |
二九日 | 高杉晋作に同行し白石正一郎方をたずねる | |
六月某日 | 四境戦争にのぞむ高杉晋作に面談、この模様を記す | |
四日 | 黒田嘉右衛門・川畑伊右衛門・大山格之助らにあて手紙を記し、ユニオン号の回航を願う | |
五日 | 下関を出立し長崎および太宰府へむかう | |
一五日 | 太宰府に帰着し土方楠左衛門に面談 | |
二二日 | 太宰府にて演説を行う | |
二五日 | 小伝次、八十六歳で没す | |
七月頃 | 桂小五郎にあて四境戦争にさいした薩摩藩の対応を報せる手紙を書く | |
八月五日 | 伊集院直右衛門と共に太宰府を出立し長州へむかう | |
七日 | 伊集院直右衛門と共に広寿山に在陣する奇兵隊陣営をたずねる | |
一一日 | 伊集院直右衛門と共に白石正一郎方をたずね高杉晋作と面談 | |
一二日 | 高杉晋作らと船に乗り込み下関へむかう | |
一三日 | 故郷の父兄らにあて、長州藩の奮戦ぶりを伝える手紙を書く | |
二五日 | 門司に在陣する奇兵隊陣営をたずねる | |
二六日 | 門司より長浜へ向け出立 | |
九月二四日 | 西郷信吾と共に京都薩摩藩邸へ至り、長州の形勢を伝える | |
同日 | 薩摩藩邸内の長家、伊知地正治方に寄宿する | |
二五日 | 大久保一蔵と面談し、土佐藩に上洛を促すよう依頼する | |
二九日 | 在京中の仲彦太郎にあて、面談を求めた手紙を書く | |
一〇月六日 | 音信不通の家族にあて、返信を求めた手紙を書く | |
某日 | 島村寿太郎・佐井寅次郎らに面談し、土佐藩の内状を聞く | |
二六日 | 故郷の父兄らにあて手紙を記し、何らかの返信を求める | |
同日 | 論策『密に示知己論』を書き終える | |
一一月一六日 | 刈谷説太郎・望月清平らの入京を知る | |
一七日 | 大森に宿泊 | |
一八日 | 住谷寅之介と出会い面談 | |
一九日 | 本国寺および伊王野某をたずねる | |
二〇日 | 毛利荒次郎の訪問をうけ面談 | |
同日 | 西郷吉之助をたずね面談 | |
二二日 | 毛利荒次郎をたずねたところ、来訪した住谷寅之介・酒泉彦太郎らに面談 | |
同日 | 武亭に宿泊 | |
二三日 | 住谷寅之介の訪問をうけ、引き続き武亭に宿泊 | |
二四日 | 祇園の料亭で義兄北川武平次と面談 | |
同日 | 北川武平次らと大坂屋与兵衛方に向かい写真を撮影 | |
二六日 | 山口徳之進をたずね面談 | |
二七日 | 北川武平次の訪問をうけ、生庄に宿泊 | |
二八日 | 深瀬仲麿の訪問をうける | |
二九日 | 故郷の兄らにあて、父の死を悼んだ手紙を記す | |
三〇日 | 毛利荒次郎をたずね宿泊 | |
同月中 | 土佐藩の兵制改革のため『愚論密カニ知己ノ人ニ示ス』を執筆 | |
一二月一日 | 土佐へ帰郷する仲彦太郎と武亭において別杯を酌む | |
三日 | 「鳥居」・「富田」をたずねる | |
四日 | 伊達某・長田某の訪問をうけ、高松太郎をたずねる | |
六日 | 小松帯刀をたずねる | |
同日 | 望月清平・刈谷彦太郎らの訪問をうけるも不在 | |
同日 | 生庄にて小酌したのち大山弥助をたずね、刈谷彦太郎方に宿泊する | |
七日 | 松原通の板倉筑前介のたずねる | |
八日 | 小松帯刀をたずね面談 | |
一〇日 | 大山弥助をたずねたのち刈谷彦太郎・望月清平らと会飲 | |
一一日 | 薩摩藩邸に戻る | |
一四日 | 西郷吉之助の寓居にて同志らと『赤穂義士伝』を読む | |
同日 | 望月清平にあて、簡単な連絡文を記す | |
一五日 | 病気のため療養中、望月清平らの訪問をうける | |
一九日 | 河原町にいたる | |
二〇日 | 板倉筑前介をたずね小林柔吉・平田糧作らに会う | |
二一日 | 板倉筑前介をたずね資金周旋を願う | |
二三日 | 西郷吉之助をたずね面談 | |
二五日 | 吉井幸輔をたずね策を談ず | |
二六日 | 伊王野某および「粟津」をたずねる | |
二七日 | 考明天皇の崩御を知り、西郷吉之助をたずね面談 | |
二八日 | 生庄にて小笠原唯八に会う | |
二九日 | 西郷吉之助の訪問をうけ、土佐藩の奮起について面談 | |
同日 | 井原主計らと大坂へ下り、三本木料亭に宿泊 | |
三〇日 | 引き続き大坂の三本木料亭に逗留 |
(平成某年某月某日識)