慶応三年(1867年)前半 | ||
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三〇歳 | 一月一日 | 伊藤新八・川路正能・井原主計・清水某らと船で天保山を出帆 |
二日 | 備前岡山沖を五里ほど過ぎた場所に停泊 | |
三日 | 御手洗から桂小五郎にあて、考明天皇崩御などを知らせる手紙を書く | |
同日 | 上関に至り、長州の井上主計・清水某らが下船する | |
四日 | 下関にて下船、長太楼に宿泊 | |
五日 | 高杉晋作の閑居をたずね「朝鮮仏戦争」について面談 | |
同日 | 長太楼に帰り、田中顕助・中島作太郎・盛岡展太郎らと小酌 | |
同日 | 坂本龍馬の訪問をうけ明け方まで快談 | |
六日 | 久保松太郎をたずね面談 | |
七日 | 田中顕助・中島作太郎らと別れ、大里に渡り黒崎桜屋に宿泊 | |
八日 | 飯塚へ至り、宿泊 | |
九日 | 太宰府へ至り五卿に拝謁、考明天皇崩御を伝える | |
一〇日 | 三条実美に拝謁し、今後の尽力を期待される | |
一一日 | 土佐から訪れていた門田為之助・喜多村彦太郎・高野直猪・大谷小伝次らに面談 | |
一二日 | 「四郎殿」に拝謁する | |
一四日 | 三条実美に拝謁後、吉田清右衛門と酒を酌み交わす | |
一五日 | 吉田清右衛門の訪問をうけ面談 | |
一六日 | 三条実美に拝謁し面談 | |
一七日 | 読書にふけり、杉本拙蔵の訪問をうける | |
一八日 | 読書にふけり、一詩を作す | |
一九日 | 読書にふけったのち参殿 | |
二〇日 | 鶴栖某へ巻帳を頼み『大学』を読む | |
同日 | 「竹谷医師」の訪問をうける | |
二一日 | 吉田清右衛門をたずね参殿 | |
同日 | 下剤の服用をはじめる | |
二三日 | 清岡半四郎および石崎某をたずねる | |
二四日 | 土方楠左衛門の訪問をうけ面談 | |
同日 | 夜に「泉女」の訪問をうける | |
二五日 | 吉田清右衛門をたずねる | |
二六日 | 講議に参加 | |
二七日 | 同上 | |
二八日 | 講議に参加したのち参殿 | |
三〇日 | 講議に参加 | |
二月一日 | 講議に参加したのち、水野渓雲斎をたずね面談 | |
同日 | 土方楠左衛門をたずね、酒を酌み交わしながら面談 | |
二日 | 吉田清右衛門をたずね、長州から来た使者について面談 | |
同日 | 土方楠左衛門・水野渓雲斎らと清水源吾および変名「宇田兵衛」を称す伊東甲子太郎の訪問をうける | |
同日 | 土方楠左衛門・水野渓雲斎らとともに長州からの使者に応接 | |
四日 | 薩摩から上って来た伊東某の訪問をうける | |
五日 | 朝長旗之助・井手国松の訪問をうける | |
六日 | 薩摩藩の兵制改革に関する情報を日記に記す | |
七日 | 『大学』を読み終え、豚を食す | |
八日 | 『東漢光武記』を読む | |
一一日 | 『中庸』の講議が始まり、岩国からの使者大草某の訪問をうける | |
一三日 | 『中庸』の講議をうける | |
一四日 | 吉田清右衛門をたずね『弘道館記述義』を借用 | |
一五日 | 古城山の登る | |
同日 | 『陸贄全集』を借り『万国公法』を吉田清右衛門に貸す | |
同日 | 島村寿太郎にあて、西郷吉之助の四国行を伝える手紙を書く | |
一六日 | 『中庸』を読み、清岡半四郎と小酌 | |
一七日 | 『中庸』を読み、清岡半四郎・武部賦らと小詩 | |
一八日 | 三条実美が『弘道館記述義』を読み終えたのでこれを清岡半四郎に与える | |
一九日 | 湯町堺屋に至り湯治、読書や作詩にふける | |
二〇日 | 湯治をしながら読書にふける | |
二一日 | 長村縫殿の遺言が届いたため、これについて質す | |
二二日 | 島村左伝次・小藤利行の訪問をうける | |
同日 | 幕府からの令書を入手 | |
二三日 | 吉田清右衛門へ手紙を送り、安芸守衛・平川和太郎の訪問をうける | |
二四日 | 太宰府へ帰着する | |
二五日 | 大山格之助をたずねる | |
二六日 | 薩摩行について二度参殿、土方楠左衛門と別杯を酌む | |
同日 | 杉本拙蔵より鉄砲代として二十五両預る | |
同日 | 清岡半四郎と同宿し、別々に別れ飲酒 | |
同日 | 清岡半四郎と共に寺内某・竹田祐伯をたずね酒を酌み交わす | |
二七日 | 大山格之助・吉田清右衛門・古閑富次・清岡半四郎らと白水楼にて別杯を酌む | |
同日 | 薩摩へ向け出立し飯原の町にいたる | |
二八日 | 松葉瀬浦に至り、船便を得る | |
二九日 | 出帆のところ、風雨に阻まれ二里ばかりすすむも停泊 | |
三〇日 | 船で安久根に至り、孫兵衛宅にて焼酎を飲む | |
某日 | 坂本龍馬と共に脱藩罪を許される | |
三月一日 | 向田の酒屋にて昼食をとり、市来に宿泊 | |
二日 | 市来から鹿児島へ至り、大山格之助宅へ投じる | |
同日 | 酒を飲みに出かけ、大山久兵衛・磯永孫四郎・三雲藤一郎らの訪問をうける | |
三日 | 吉井幸輔をたずね四賢侯会議について面談 | |
同日 | 黒田嘉右衛門をたずね、大山格之助宅に戻る | |
同日 | 西郷吉之助をたずね、四国出張の首尾について面談 | |
四日 | 肝付七之丞をたずねたのち大山格之助宅に戻る | |
同日 | 肝付七之丞・上山某の訪問をうけ面談 | |
同日 | 伊地知正治をたずねたところ、吉井幸輔の訪問をうけ面談 | |
五日 | 村田新八をたずね面談 | |
同日 | 朽木某をたずねたのち同道して磯製鉄所に向かい、これを見学 | |
六日 | 朝市へ向かい川畑伊右衛門をたずね、さらに三雲藤一郎をたずねる | |
七日 | 前田円雪の訪問をうけ、伝言を伝えられる | |
同日 | 馬寄せを見学 | |
同日 | 森山某をたずねたのち西郷吉之助をたずね、そこへ来訪した村田新八と面談 | |
同日 | 黒田了介をたずね面談、そのまま宿泊 | |
八日 | 黒田了介宅から大山格之助宅へ戻り、川畑伊右衛門・松岡某らの訪問をうける | |
同日 | 山田某の訪問をうけたのち大山格之助と磯永孫四郎をたずね、三島弥平の訪問をうける | |
同日 | 西洋より届いた写真および書簡を見る | |
九日 | 島津久光に拝謁し、伝言を依頼される | |
同日 | 西郷吉之助に出立を告げ、村田新八をたずね小酌 | |
一〇日 | 村田新八・寺田平之助と共に鹿児島を出帆 | |
一一日 | 阿久根へいたる | |
一二日 | 強風のため阿久根に停泊 | |
一三日 | 阿久根から茂岐へいたる | |
一四日 | 茂岐から長崎へ至り、田崎へ投じて沐浴後、昼食をとる | |
同日 | 済英館に遊んだのち小曽根乾堂方をたずね、千屋寅之助・中島作太郎・門田為之助らに会う | |
同日 | 上記の人々と別杯を酌み、船で時津へいたる | |
一五日 | 時津から大村へ至り、渡辺清・渡辺昇・永岡某らと面談し宿泊 | |
一六日 | 大村を出立し、太宰府へむかう | |
一七日 | 田代にて朝食をとり太宰府に至って五卿へ拝謁、薩摩藩の情勢を伝える | |
同日 | 薩摩藩の情勢や四賢侯会議について土方楠左衛門と面談 | |
一八日 | 五卿に拝謁し、同志らと別杯を酌む | |
一九日 | 太宰府から黒崎を経て小倉へいたる | |
二〇日 | 下関に至り坂本龍馬をたずね、伊藤俊輔をたずねる | |
二一日 | 高杉晋作をたずねるも病のため対面できず帰る | |
二二日 | 田中顕助の訪問をうけ面談 | |
二三日 | 陸路東上のため出立 | |
二四日 | 久波から船に乗り込み出帆 | |
二五日 | 草津に上陸し、広島を経てさらに東上 | |
二七日 | 片山へ至り、船を雇い出帆 | |
二八日 | 高砂に至り宿泊 | |
二九日 | 風波のため明石に上陸、西宮にいたる | |
四月一日 | 大坂へいたる | |
二日 | 小松帯刀をたずねる | |
三日 | 淀川を上る | |
四日 | 伏見寺田屋へ至り入京、小笠原唯八に会い急務を談ずる | |
五日 | 内田仲之助・新納刑部に面談後、小笠原唯八をたずねる | |
六日 | 大坂へ下る | |
七日 | 土佐堀で小笠原唯八に会い面談、寺田典膳・谷守部の入京を知る | |
八日 | 高松太郎と共に京都へ上る | |
九日 | 京都へ至り、板倉筑前介をたずねる | |
一〇日 | 高松太郎・橋本鉄猪と共に大仏山にいる板倉筑前介をたずね面談 | |
一一日 | 深瀬仲麿・吉田俊男らに近江楼で会う | |
一二日 | 播総に至り、高松太郎・千屋寅之助の訪問をうけ面談 | |
一三日 | 高松太郎・山本復輔と共に翠紅館をたずね千三百両受け取る | |
一四日 | 寓居に帰邸したのち西郷吉之助に面談 | |
一五日 | 伊藤俊輔と河東に遊び、夜半に帰邸 | |
一六日 | 塩川某をたずねたのち、吉井幸輔をたずねる | |
同日 | 山中敬造の訪問をうける | |
一七日 | 正親町三条実愛をたずね、朝廷内の情報を集める | |
一八日 | 鷲尾隆聚をたずねる | |
一九日 | 加茂川付近へ散歩に出かけたのち、烏丸家をたずねる | |
二〇日 | 船越洋之助・小林柔吉に面談し、播総に宿泊 | |
二一日 | 前田雅楽と共に初めて岩倉具視に面談 | |
二二日 | 松平春嶽・伊達宗城の入京取次等について西郷吉之助と面談 | |
二三日 | 世界地図および『西洋事情』を岩倉具視に献上、朝廷内のことについて面談 | |
二四日 | 西郷吉之助をたずね、長州の進退や兵制などについて面談 | |
二五日 | 病中の片岡源馬をたずねたのち、船越洋之助・高松太郎をそれぞれたずね、生庄に宿泊 | |
二六日 | 寓居に帰邸したのち、伊藤俊輔・田中顕助・深瀬仲麿・吉田俊男と近安亭に遊び、丸石に宿泊 | |
二七日 | 伊藤俊輔の送別のため谷村某と三人で明保野亭に遊び、生庄に宿泊 | |
二八日 | 船越洋之助・高松太郎・丹羽某らをたずねる | |
二九日 | 桂小五郎にあて武力討幕の必要性を説いた手紙を書き、これを伊藤俊輔に託す | |
三〇日 | 深瀬仲麿・片岡源馬らをたずね、高松太郎をたずねる | |
五月一日 | 小松帯刀に会う | |
二日 | 小笠原唯八・毛利荒次郎・谷守部らに会い船越洋之助をたずね、西郷吉之助・大久保一蔵をたずねる | |
三日 | 播総および板倉筑前介をたずね、生庄に宿泊 | |
四日 | 毛利荒次郎・谷守部らの訪問をうけ、望月清平・山地磯吉・山本雄之進らに会う | |
五日 | 毛利荒次郎・谷守部らと柏亭で会う | |
七日 | 西郷吉之助をたずね、昨日も行われた四賢侯会議について面談 | |
同日 | 船越洋之助らと「梅の尾」に遊ぶ | |
八日 | 船越洋之助方に宿泊 | |
九日 | 毛利荒次郎より手紙が届き、明保野亭に遊ぶ | |
一〇日 | 生庄にて福岡藤次・小笠原唯八・毛利荒次郎・谷守部らに会う | |
同日 | 岩倉具視をたずね面談 | |
一一日 | 島村寿太郎・望月清平に会う | |
一二日 | 樋口真吉らに会う、三本木料亭にて小笠原唯八と別杯を酌む | |
一三日 | 高松太郎をたずね、毛利荒次郎と同宿 | |
同日 | 小笠原唯八の帰郷を見送り、金子十両と鯨肉を贈られる | |
一四日 | 福岡藤次・毛利荒次郎・谷守部と会々堂へ至り面談、梅亭に立ち寄ったのち真葛亭に宿泊 | |
一五日 | 高松太郎方にて毛利荒次郎に会い、船越洋之助をたずねたのち生庄で人を雇い「物持ち」のため帰邸する | |
同日 | 西郷吉之助・吉井幸輔に面談し、昨日も行われた四賢侯会議の模様といろは丸事件について面談 | |
一六日 | 宿を移し、深瀬仲麿の訪問をうけ面談 | |
一七日 | 高松太郎と共に会々堂へ至り、福岡藤次・神山左多衛・毛利荒次郎・谷守部らと会う | |
一八日 | 板倉筑前介をたずねたのち、船越洋之助をたずねる | |
同日 | 福岡藤次・乾退助・船越洋之助らと近安楼に至り、武力討幕について面談 | |
同日 | 近安楼に宿泊 | |
一九日 | 薩摩藩邸にて西郷吉之助と会い、品川弥二郎・山県狂介・鳥井小弥太・田中顕助らと酒を酌み交わす | |
同日 | 乾退助・毛利荒次郎・谷守部らと大森へ会したのち寓居に戻る | |
二〇日 | 毛利荒次郎をたずね、明保野亭に宿泊 | |
同日 | 吉井幸輔、慎太郎をたずねるも不在のため手紙を残し帰る | |
二一日 | 乾退助を紹介する旨の手紙を西郷吉之助に書き、これを送る | |
同日 | 乾退助らと小松帯刀方をたずね西郷吉之助・吉井幸輔らと面談、薩土密約を結ぶ | |
中旬頃 | 大石弥太郎・島村寿太郎・池知退蔵にあて手紙を記し、乾退助との協力を要請 | |
二二日 | 乾退助方から寓居へ戻り、吉永良吉の訪問をうけ面談 | |
同日 | 深尾三九郎らと面談 | |
二三日 | 明保野亭に立ち寄ったのち、乾退助をたずねる | |
二四日 | 薩摩藩邸をたずね情報を集める | |
同日 | 片岡源馬をたずね橋本鉄猪・田中顕助・山中敬造らに会う | |
二五日 | 福岡藤次・乾退助・毛利荒次郎・谷守部らと会々堂にて面談 | |
二六日 | 鍋島某に会い、眼鏡を二つ贈る | |
二七日 | 乾退助の帰国にさいし西郷吉之助をたずね、乾・毛利荒次郎・谷守部らの決意を伝える | |
二八日 | 帰国する樋口真吉・森新太郎・池知退蔵らと送別の宴を開く | |
同日 | 山内容堂の帰国に随従する乾退助らに別れを告げる | |
二九日 | 西郷吉之助・吉井幸輔をたずねる | |
同日 | 二川元助・岩村精一郎の訪問をうけたのち、小林柔吉と栂亭に遊ぶ | |
六月一日 | 岩村精一郎・田中顕助・樋口真吉・西山平馬らの訪問をうける | |
同日 | 五条方面に出かける | |
二日 | それぞれ二川元助・「小林」らの訪問をうけ、岩村精一郎をたずねる | |
三日 | 樋口真吉と共に西郷吉之助をたずね大久保一蔵に会い、金のことを談ずる | |
四日 | 柳原前光に拝謁したのち、宇和島藩の松根内蔵に会う | |
五日 | 樋口真吉・西山平馬の訪問をうけ、土佐藩の情勢を聞く | |
同日 | 下村鏡太郎の訪問をうけ、豊後屋に至り宿泊 | |
六日 | 西郷吉之助・吉井幸輔をたずね、幕府・尾張・会津に関する情報を得る | |
七日 | 五条へいたる | |
一〇日 | 山川左一右衛門・深尾三九郎に会う | |
一一日 | 吉田俊男・深瀬仲麿・小林柔吉・田中顕助の訪問をうける | |
同日 | 小林柔吉・田中顕助と一酌をもよおしたのち、三人で明保野亭および会々堂へおもむき福岡藤次・高松太郎・安岡金馬らに会う | |
同日 | 田中顕助と共に円石楼にのぼり宿泊 | |
一二日 | 乾退助にあて手紙を記し、中村勇吉から曲直瀬道策にあてた書簡が新選組に奪われたかも知れない旨の情報を伝える | |
一四日 | 明保野亭で鳥尾小弥太・田中顕助に出会い、慎太郎は同所に宿泊 | |
一五日 | 後藤象二郎と面談、土佐の藩論が「大政奉還」に定まった旨を伝えられる | |
同日 | 坂本龍馬・田中顕助の訪問をうけ龍馬と面談、いろは丸事件について紀州より賠償金獲得に成功しそうな旨を伝えられる | |
一六日 | 西郷吉之助・吉井幸輔をたずね、山県狂介・品川弥二郎・田中顕助らが明日帰国のため京都を出立する旨を伝えられる | |
同日 | 田中顕助をたずね、太宰府に届けるよう手紙を渡す | |
一七日 | 「越」をたずねる | |
同日 | 京都を出立する田中顕助の訪問をうけ、別杯を酌む | |
一九日 | 後藤象二郎をたずね、薩摩藩邸にむかう | |
二〇日 | 三本木料亭に遊ぶ | |
二二日 | 薩土盟約が成立し、慎太郎と坂本龍馬も浪士代表として同席 | |
二三日 | 佐々木三四郎・毛利荒次郎、大政奉還建白書の修正について会々堂で慎太郎・坂本龍馬と面談 | |
二四日 | 二川元助の送別に出かける | |
二五日 | 坂本龍馬と共に岩倉具視をたずね面談 | |
同日 | 薩摩藩邸に至ったのち、会々堂へ会し先斗に宿泊 | |
二八日 | 毛利荒次郎・下村鏡太郎と共に因州および薩摩の藩邸をたずねる | |
同日 | 後藤象二郎にあて手紙を記し、陸援隊への資金提供を願う |
(平成某年某月某日識)