慶応三年(1867年)後半 | ||
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三〇歳 | 七月一日 | 坂本龍馬と共に十津川屋敷へ向かい、松本楼に後藤象二郎をたずねる |
二日 | 西郷吉之助より後藤象二郎にあて、柏亭にて有志らと集会を開きたい旨を伝えられる | |
同日 | 上記の集会のため小松帯刀・大久保一蔵らと柏亭で面談 | |
三日 | 太宰府の土方楠左衛門、慎太郎・清岡半四郎にあて三条実美の主意を伝える手紙を書く | |
四日 | 佐々木三四郎をたずねる | |
五日 | 西郷吉之助・大久保一蔵をたずね、清岡半四郎・平川和太郎らと会々堂に会す | |
同日 | 会々堂にて佐々木三四郎・毛利荒次郎・福岡藤次らと出会い長州の模様について談ずる | |
六日 | 烏丸光徳に拝謁 | |
八日 | 江戸から上京して来た真辺戒作に出会う | |
同日 | 松風亭にて佐々木三四郎と談話 | |
九日 | 船越洋之助らをたずねたのち、生庄にて昼食をとる | |
同日 | 十津川邸に至り望月清平と会飲 | |
一〇日 | 島村寿太郎・上田楠次にあて、それぞれ手紙を書く | |
一一日 | 毛利荒次郎に「風説書付」を頼む | |
同日 | 福岡藤次・森新太郎・毛利荒次郎・由井猪内・佐々木三四郎・清岡半四郎と松力亭で出会い、そこへ辻将曹の訪問をうける | |
一二日 | 島原に遊ぶ | |
一四日 | 毛利荒次郎をたずね、佐々木三四郎と同道し酔月に至り、会々堂をたずね帰る | |
一五日 | 霊山をたずね参詣 | |
一六日 | 船越洋之助・辻将曹をたずね面談、丸石に宿泊 | |
一七日 | 西郷吉之助から大山格之助の上京を知らされ、これに面談 | |
同日 | 佐々木三四郎と共に正親町三条実美をたずねる | |
同日 | 土方楠左衛門・田中顕助より手紙が届く | |
同日 | 望月清平にあて簡単な消息文を記す | |
一九日 | 薩摩藩邸をたずね、五条家へ行く | |
二二日 | 大政奉還を批判し武力討幕への決意を促す手紙を本山只一郎にあて書く | |
同日 | 山本左右吉にあて簡単な近況を伝える手紙を書く | |
同日 | 毛利荒次郎と共に佐々木三四郎をたずねる | |
二四日 | 品川弥二郎の訪問をうけ、岩倉具視をたずねる | |
二六日 | 岩倉具視をたずねたのち、愛人の訪問をうける | |
二七日 | 伊東甲子太郎の訪問をうけ、「小林」方に宿泊 | |
同日 | 佐々木三四郎をたずね、陸援隊の屯所が白川土佐藩邸に決まる | |
二八日 | 紅屋を出る | |
二九日 | 陸援隊の本格的な結成にともない白川土佐藩邸に移る | |
夏月 | 大攘夷と討幕を説いた『時勢論』を著述 | |
八月二日 | 福岡藤次・「小林」をたずね帰る | |
三日 | 西郷吉之助をたずねる | |
同日 | 清岡半四郎の訪問をうけるも不在 | |
四日 | イカルス号事件に対する土佐藩の処置を批判する手紙を本山只一郎にあて書く | |
五日 | 正親町三条実愛に拝謁し、イカルス号事件などについて面談 | |
六日 | 岩倉具視に拝謁し、西郷吉之助・品川弥二郎にそれぞれ会う | |
七日 | 鷲尾隆聚方に行き、また武市半平太の最後の様を知る | |
八日 | 小林柔吉・毛利荒次郎・辻将曹・十津川邸をそれぞれたずね、毛利から十両贈られる | |
同日 | 坂本龍馬からイカルス号事件に関する手紙が届く | |
九日 | 片岡源馬の訪問をうける | |
一三日 | 佐々木三四郎・本山只一郎にあて武力討幕促進を呼び掛けた手紙を記す | |
一五日 | 満月を見ながら作詩 | |
一六日 | 十津川邸で田中顕助・片岡源馬らに出会い、共に白川へ帰邸する | |
一七日 | 田中顕助と薩摩藩邸へ行き、品川弥二郎に面談 | |
一八日 | 高台寺に至った帰路の途中、三俵に宿泊 | |
一九日 | 白川に帰邸し、樋口真吉・中城亀四郎の訪問をうけ、同所の蔵を改める | |
二〇日 | 十津川郷士らと調練に励む | |
二一日 | 田中顕助・木村弁之進と共に鹿谷・銀閣寺・詩仙堂へ行く | |
二二日 | 十津川郷士らの調練後、岩倉具視をたずね「木のうち」に宿泊 | |
二三日 | 白川へ帰邸する | |
九月八日 | 品川弥二郎をたずね、土佐藩政府が武力討幕に否定的な旨を伝える | |
同月頃 | 船越洋之助に辻将曽を殺害するよう勧め、自らは後藤象二郎を刺す旨を伝えるも品川弥二郎に諭され思いとどまるという | |
二一日 | 在国中の大石弥太郎にあて「兵談」を記し、土佐藩の兵制改革を説く | |
一〇月三日 | 大政奉還を「書生論」と批判した手紙を本山只一郎に書く | |
一〇日 | 坂本龍馬・中島作太郎・岡内俊太郎の訪問をうけ、武力討幕への準備が整ったさまを実見させ、何時でも討幕に立てる旨を伝える | |
一一日 | 板倉筑前介にあて、金子三百両の借用書を書く | |
同月中 | 御陵衛士伊藤甲子太郎・藤堂平助が坂本龍馬をたずね、同席中の慎太郎も共に身辺を警戒するよう忠告をうけるという | |
一八日 | 岩倉具視と薩摩藩邸をたずね、大垣藩の天皇奪取計画の風説について面談 | |
二三日 | 正親町三条実愛をたずね薩摩への沙汰書などについて面談 | |
三〇日 | 島村寿太郎にあて手紙を記し、島村寿之助の脱囚を祝い、乾退助へ伝言を依頼する | |
一一月一日 | 正親町三条実愛をたずね武力討幕について面談 | |
一五日 | 谷守部の下宿をたずねるも、谷守部は不在 | |
同日 | 坂本龍馬の居る近江屋たずね面談、そこへ岡本健三郎・菊屋峰吉の訪問をうける | |
同日 | 伏見から戻った宮地彦三郎が近江屋をたずね、階下より挨拶をかわす | |
同日 | 板倉筑前介、近江家をたずね坂本龍馬へ掛軸を進呈する | |
同日 | 岡本健三郎・菊屋峰吉が所用のため近江屋を離れる | |
同日 | 慎太郎・坂本龍馬、刺客の襲撃をうける | |
一六日 | 事件を聞いて集まって来た同志たちに襲撃の模様を伝え、王政復古への尽力を依頼する | |
一七日 | 慎太郎、絶命 | |
同日 | 慎太郎・坂本龍馬・山田藤吉の遺体が霊山に埋葬される |
(平成某年某月某日識)