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贈歌篇


短歌・連句・漢詩

短歌

嵐山 たかねの桜 おりかざし 帰れわが背子 花散らぬまに

中岡兼

 文久三年、結果として慎太郎との永別になった当時、妻 兼がそのうしろ姿を見送って詠んだという和歌。虫の報せとでもいうべきか。
旅衣 つゆもかはかぬ 袖の上に かかるはわひし 秋び村雨
かへさめと おもふ心は 玉の緒の たえぬかきりは たはむへしやは

三条実美

都出て しはしといひて 秋なから しくるる迄に はや成にけり

三条西季知

九月二〇日夜くもりし月のはれゆくを見て
むら雲を はらふしなどの 秋風に いよいよさやけき 月の影かな

東久世通禧

古に ふきかへすへき 神風と しらてやさはく しここのえみしら

沢宣嘉

 文久三年、慎太郎が三田尻へ潜行したおり七卿らに謁し、土佐へ帰郷するさい賜った和歌数首。

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益荒男の 七世をかけて 誓ひてし ことばたがはじ 大君のため

藤堂平助

 結果的に藤堂平助の絶筆となった歌。詠作時期や前掲服部武雄歌の詞書を考慮すると、これも龍馬や中岡慎太郎を想起しよまれた歌だろうか。四句の詞遣いから推してイマイチ首肯しかねる見方ではあるが……。

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世を思ひ身を思ひても誓ひてし 人のうせぬることそ悲しき
武士の そのたましひや たまちはふ 神となりても 国を守るらむ
君かため よのため思ひ 嘆くには 悲しといふも 悲しかりけり
いかなれば 思はぬ風に たはむらん 世にもかかれる 人の魂の緒
君か為 身の為思ひ 頼みしも 甲斐なくなりし ことそ悲しき

三条実美

 慎太郎・坂本龍馬横死の報が慶応三年一二月三日に太宰府へ届くと、太宰府でははやくも五日に、神式にのっとって両雄の霊魂をまつっている。そのさい三条実美が下した御詠歌が上の三首で、下の二首は慎太郎の妻である兼に贈られた歌。

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君がため こぼれる月の 影くらく なみだは雨と ふりしきりつつ

佐々木高行

 龍馬横死の凶報が長崎にもたらされたのちの慶応三年一二月一五日夜、慎太郎と龍馬の死を悼み執行された祭典で風雨であって天も心あるらしく思われて詠んだ佐々木三四郎の歌。

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連句

男児志ヲ成スハ果シテ何レノ辺ゾ[三]
今日馬関ニ砲烟起ル[中]
錦旗ヲ捧ゲ得テ東ニ向フ処[三]
君ト再会セン帝都ノ天[中]
中岡光次脱国ノ前一夕、瑞山先生之塾ニ会シ聯句ヲ賦ス

三宅謙四郎

 文久三年、慎太郎脱藩のさい、その同行に誘った相手三宅謙四郎とのあいだに作詩した連句。注記の[三]は謙四郎、[中]は慎太郎が作詩した部分。謙四郎はこの詩について「中岡が脱走する前夜、島村祐四郎[武市半平太の義弟]の家で会った。送別の意に私が『英雄立馬果何処』とやると『今日馬関起砲烟』と答えた。この起承に馬の字が重なるが倉卒の際であるから改めることもできぬ」との感想を語っている。よって、うえは添削後の詩。

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漢詩

村隔渓潤ノ雪ハ威ヲ加フ 弁不梅花与雪花ト 一陣シテ那辺ノ香鼻ヲ撲ツ 始メテ知ル半面是梅花

北川竹次郎

 野根山岩佐の関所を出る中岡に向けて贈られたという漢詩。

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気ハ快談ヲ興シ斜陽ニ至ル 却テ慚ヅ話裏狂揚ニ及ブヲ 君看ヨヤ青帝モ亦将ニ去ラントスルヲ 芳草落花夢一場
丙寅晩春某日、石川兄予ガ草庵ヲ訪ハル、豪談半日頗ル愉快ヲ覚ユ、席上小詩ヲ賦シテ供ス、石兄笑覧セヨ。東行生未定稿

高杉晋作

 慶応二年の晩春、すなわち四境戦争をまじかに高杉晋作から贈られた漢詩。二人の交情のほどが知れるようか。

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(平成某年某月某日識)

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