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中岡慎太郎の目録

人傑篇(中岡慎太郎)

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中岡慎太郎

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人傑篇(二)


高杉晋作 高杉晋作

「当時[慶応元年冬]の人物を論じ候えば[中略]胆略有り、兵に臨みて惑わず、機を見て動き、奇をもって人に勝つ者は高杉東行[晋作]。これまた洛西の一奇才」

「高杉晋作は方今[慶応二年一〇月]洛西第一の卓識家の名あり。この説に曰く『英仏、方今大強の勢をもって支那の衰政を目がけ、正々堂々をもって勝んと欲するを日本現今に取り手本とせば大間違なり。今日我手本とすべきは英仏等の末盛の時、国を起せし節、戦争たびたびこれ有り、これを学ばずんば何の益かあらん』と云々。此また名論とす。」

中岡慎太郎

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久坂玄瑞 久坂玄瑞

「第一その卓識なる者を久坂玄瑞という。この人吉田寅次郎[松陰]の門弟にして英学も少々仕り、夷情も大に知れり。この人常に論じて曰く『西洋諸国といえども、魯王のペートル、米利堅のワシントン師の如き、国を興す者の事業を見るに、是非とも百戦中より英傑起り、議論に定まりたる者にあらざれば、役に立たざるものなり。これ非共はやく一旦戦争を始めざれば、議論ばかりになりて事業は何時までも運び申さず』という。実に名論と相考え申し候」

中岡慎太郎

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毛利敬親 毛利敬親

「非常の行を天下に魁て任ずる者は誰にて御座候かな。恐れながら防長明君公様方[毛利敬親ら]と薩とにこれ有るべく、これ僕が愚念、敬而失敬を顧みざるところにござ候」

中岡慎太郎

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西郷吉之助 西郷吉之助

「当時[慶応元年冬]の人物を論じ候えば、薩藩には西郷吉之助あり。人となり肥大にして後免の要石[当時土佐にいた力士の名]にも劣らず、古の安倍貞任などは斯く如き者かと思われ候。この人学識あり、胆略あり、常に寡言にして最も思慮深く、雄断に長じ、たまたま一言を出せば確然人の肺腑を貫く。かつ徳高くして人服し、屡々艱難をへてことに老練す。その誠実、武市[半平太]に似て学識これある者。実に知行合一の人物なり。これすなわち落西第一の人物にござ候」

中岡慎太郎

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島津久光 島津久光

「天下に邪心なきを示し悪名を掩わんため、暫く三郎[島津久光]本国に帰る。最初、少将に任ぜられ未幾なくして中将に進む。私権の行わるる事もこれにて見る可」

中岡慎太郎

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肖像無 薩摩藩士四名

「薩の姦臣、両高崎[猪太郎・佐太郎]・藤井[良節]・井上[弥太郎]の如き者」

中岡慎太郎

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岩倉具視 岩倉具視

岩倉に面談前、その人物を讃える大橋慎三に向い
「聞こえた古狸だ。おぬしもたぶらかされたと見える」

岩倉に面談後、大橋慎三にむかって
「図らざらき公卿中に斯の如き人あらんとは。予が前中将[岩倉具視]に遭遇せしは殆ど天佑なり」

自身の絶命を前に駆けつけた香川敬三へ向い
「天下の大事は偏に岩倉公の之を負荷せられんことを願うのみ」

中岡慎太郎

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朝彦親王肖像無 朝彦親王・近衛忠煕

「過日、宮家向き斬姦の事あり、事遂げずといえども、大に姦物恐怖を生じ、中川宮[朝彦]は薩人を退け自ら国事係御辞表におよび、引退て参内せず、近衛[忠煕]も同様。これは薩人、藤井[良節]・井上[弥太郎]、なお今奥向に侍る。これ朝廷の毒虫なり」

中岡慎太郎

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松平容保 松平容保

禁門の変における会津藩を評し
「松平肥後守[容保]どの悪逆の次第、一朝一夕の事にてはこれ無く、[中略]肥後守どのの姦計にて中川宮[朝彦]を頼み、あくまで正論を壅蔽し恣に矯誣致被、毫釐も貫徹の道これなく、なかんづく六月二七日夜、長州兵士乱入と宣言し、俄に兵卒参内し、直に乗輿武家玄関に乗り付け、禁内を騒擾奉り、その後数一〇日御花畠に止居、頻に追討の詔を強請し、はなはだしきに至っては洛外に追討の軍をおこし、その機に乗じ恐れ多くも鳳輩を彦根城にうつし奉らんと姦謀匿計。その驕慢不臣の大罪、神人ともににくむところ。この如く大逆賊そのままにおき候ては目睫間の患害はかるベからず、坐て敵の謀に陥り候はんよりは、恐れ多き事には候えども大権道をもって断然決作。進んで天下の逆魁を討し、朝廷不測の大患を除んと切迫の余り、やむをえずに出候義と伝承仕り候。[中略]天朝ならびに幕府列藩へ肥後守どの悪逆の罪を鳴し、討伐の義、公然申し達候ことと承及候」

中岡慎太郎

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徳川斉昭 徳川斉昭

東国に尊攘派諸公が少ない事を対比し
「しかし水府公[徳川斉昭](勤王の大義農夫といえども知らざるなし)への不義は実に相成り申さず程のことにて、英主為政の基、実にここに至るかと一々感心仕るのみにござ候。その隣藩、宇都宮・土浦・笠間などの諸藩も水戸の沢におよぶによるや、だいぶ士気振い居り申し候」

中岡慎太郎

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肖像無 中村円太

中村円太の自刃について
「野[中村円太]君一条、過日承り御気の毒次第に存じ奉り候。[中略]さりながら野君も自ら招くの災害と存じ奉り候。旧冬、遊軍に御入のせつ[中村円太が]僕に入隊を促す。見る所あり『入隊せず』と答う。君[中村円太]は僕に謂て曰く『足下大いに(四文字欠字)能く薩人などに面会す。吾輩に取て考うるに義、薩人に面すべからず。ゆえに義挙に属せんとす』と。僕曰く『君の僕を軽侮するもまた甚し、しかりといえども僕見所あり』。君これに怒る。僕また曰く『隊入復出可不』。君曰く『意決』。ゆえに僕復言せず退きて知己に告げて曰く『甚だかな野生の言や、時々刻々議論変動するこの如し。他日また果たして窮せん。憐れむべし』と。[中略]高杉[晋作]君、僕に謂て曰く『野生ひととなり今にして知れり。旧冬来留連帰不。昨夜、人を遣わし縛せしむ。去て所を知らず、跡にて聞けば荷衛にありと、残念なり』。僕曰く『縛して何をかする』と。高杉曰く『不義不信、軍法死に当たる者なり』と。その後、人有、僕に語って曰く『野生、昨日隊中に来て曰く『吾見る所ありて留連す。然るに隊法といえば一言なし。退いて罪を待つ』と云いて去り、ただちに早川[養敬]君来て野生を請い受け藩に入らしむと云う。隊中厳法あれども早川氏の挨拶に託し放逐の律に当て、うちうち金を与えたり』と云う。僕これに於いて思う。果然々々甚哉、此君の頼む可らざるや、而してまた君の為に悩む。君果たしてこの如くなれば防長有志に再会す可らざることをまた憐れむなり。その後また聞く『馬関福浦留連極り、遂に妓を携えて博多へ来る』と。君かつ曰く『姦首を見れば去らん』と。これ真に君口実とする所の常手段なり。何の信ずるに足らん。僕この事を聞き、怒て曰く『乱民罰すべし』と。また思う、情夫決して再会すべからず。しかして過日のことを聞き思う。これ君、自ら招くの災いにして、君能く知らざるなり、愚もまた憐れむ可きなり。僕など毎に同友与語て曰く『野君、福岡自ら長州に来るや甚だよし。そのご、酒色に流れ美服を極め、人に指し笑わるるの人となるや、その人物昔日と比すれば甚だ異なる。これ有志といえども酒色に沈すれば、その心乱れ、その節たわむものなり。清不可不』。且この君特癖有り。防長中にても容る人少なし。右者ひそかに君の過失を陳ずるこの如く。僕不肖、あえて往者を誹謗するに非ず。失礼ながら先生[月形洗蔵]等に訴う処あり。先生等君の一条に付き、篤く御同志中を御責め成被候哉に承り、甚だ心痛仕り候。まず天下に大業をなさんとする日に当り、この如く区々巳往の事を論じ、御同志中に隔り出来候ては実以て相成らず。右に陳ずる如くにて、君全く罪なしと言う可からず」

中岡慎太郎

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(平成某年某月某日識)

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