慶応三年(1867年) | ||
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三三歳 | 一月三日 | 久保松太郎にあて宿舎手配の礼状を記す |
同日 | 桂小五郎に年始の挨拶と伊藤九三方に宿泊している旨を伝えた手紙を書く | |
五日 | 夜分に中岡慎太郎のたずね、翌朝まで快談 | |
六日 | 伊藤九三・森玄道らに急使を送り、中岡慎太郎から聞いた京都の情勢を伝え、それを三吉慎蔵に報告するよう依頼状を書く | |
九日 | 下関から長崎へむかう | |
一一日 | 長崎にいたる | |
一三日 | 松井周助・溝淵広之丞の仲介により、後藤象二郎と清風亭で会談 | |
一四日 | 後藤象二郎との会談を桂小五郎に伝え、土佐藩の藩論に言及した手紙を書く | |
一七日 | 長崎へ到着した旨を役所に届けるよう伊藤九三に依頼する | |
二〇日前後 | 谷守部と面談 | |
二〇日 | 姪春猪にあて手紙を書く | |
二二日 | 門田為之助に出会った旨を乙女に伝える手紙を書き、諱に「直柔」を使用 | |
後半頃 | 上野彦馬の写真館で写真を撮影 | |
二月初頭頃 | 会津藩家老神保修理と面談し「高坂龍次郎」の変名を使用 | |
七日頃 | 肥後熊本藩士荘村助右衛門と面談 | |
一〇日 | 楢崎龍をつれ、伊藤九三方へ帰る | |
一四日 | 河田左久馬に蝦夷地開拓について下関来訪を願う | |
一六日 | 三吉慎蔵に後藤象二郎との面談を伝える | |
二〇日 | 薩摩藩士大山格之助と面談 | |
二二日 | 「近時新聞」と題した情報を三吉慎蔵に送り『大日本史』の借用を願う | |
某日 | 中岡慎太郎と共に脱藩罪を赦免される | |
三月六日 | 印藤聿にあて思いつくまま筆をとり、蝦夷地開拓・いろは丸・四百両の借金等にふれた手紙を書く | |
二〇日 | 中岡慎太郎の訪問をうける | |
同日 | 西郷吉之助が山内容堂へ上洛を進言し、それが実現しそうな旨を三吉慎蔵に伝える | |
二四日 | 春猪にあて簪を送る旨の手紙を書く | |
四月某日 | 伊藤九三方にて印藤聿や森玄道らと歌会を開く | |
六日 | 伊藤九三に借金を返済し、残額の繰り延べ借用を依頼する | |
七日 | 乙女にあて金巾を送る旨の手紙を書く | |
八日 | いろは丸、長崎へ入港 | |
一〇日頃 | 海援隊々長に任ぜられる | |
同頃 | 「海援隊約規」起草 | |
一九日 | 土佐商会から海援隊士の給金を受け取り、大坂行のため餞別として五十両贈られる | |
同日 | 海援隊乗船のいろは丸、長崎を出帆 | |
二三日 | いろは丸と紀州艦明光丸が讃岐箱ノ崎沖で衝突し、いろは丸は沈没 | |
二四日 | 龍馬らは明光丸へ乗り移り鞆港へ上陸、廻船問屋枡屋清左衛門方へ入り、魚屋万蔵方で明光丸船将高柳楠之助らと事故責任をめぐる談判を二四日・二五日・二六日と行う | |
同頃 | 佐柳高次・腰越次郎ら、海援隊離隊を願い出、明光丸に斬り込もうとするも龍馬に諭され思いとどまる | |
二七日 | 早朝からの交渉も明光丸出帆ため中断、談判は長崎へ持ち越される | |
同日 | 寺田屋登勢に楢崎君江あての荷物を送り、伏見寺田屋には望遠鏡や時計を送る旨の手紙を書く | |
二八日 | 千屋寅之助・高松太郎らにいろは丸の『航海日誌』の写本を送り、その処置を伝えると共に一戦覚悟の決意を示す | |
二九日 | 船便を得、鞆港より下関へむかう | |
三〇日 | 船が御手洗へ入港し、先に停泊中の河田左久馬と談笑 | |
五月中 | 長岡謙吉による『閑愁録』成る | |
四日 | 下関で三吉慎蔵から、いろは丸事件の見舞いをうける | |
五日 | 三吉慎蔵へ見舞いの礼とともに福田扇馬らの出崎を期待する旨の手紙を書く | |
七日 | 長崎へむかうにあたり、伊藤九三に留守中の取り決めを申し入れた手紙を書く | |
八日 | 三吉慎蔵に楢崎龍のことを託し、下関を出港 | |
一〇日 | 長崎にいたる | |
一一日 | 秋山某に『万国公法』の送付を願う | |
一三日 | 海援隊士達、別便で長崎に到着 | |
同日 | 橋本麒之助をともない、高柳楠之助の宿をたずねる | |
同日 | 伏見寺田屋にあて手紙を書く | |
一四日 | 荘村助右衛門と面談 | |
一五日 | いろは丸事件の決着に向け、紀州藩との交渉が始まる | |
一六日 | 紀州藩との交渉が続く | |
一七日 | 三吉慎蔵にあて手紙を書く | |
一八日 | 大村藩士渡辺昇にあて手紙を書く | |
一九日 | 腰越次郎を岩崎弥太郎のもとへ遣わし、給料の不足分をうけ取らせる | |
二一日 | 長岡謙吉を使いとし、土佐商会に書籍等の引き渡しを願う | |
二二日 | いろは丸事件の交渉が聖徳寺で再開される | |
同日 | 岩崎弥太郎と出会い、前日の願書が後藤象二郎に届けられた旨を知らされる | |
同日 | 後藤象二郎らとオールト宅で会飲し、英国海軍の提督をたずね面談 | |
二六日 | 高柳楠之助と面談し、後藤象二郎と共に紀州藩代表茂田市次郎をたずねる | |
同日頃 | 長崎で流行らせた俗謡の効果が絶大となる | |
二七日 | 楢崎龍の弟黒沢直次郎に高柳楠之助にあてた手紙を持たせ、英国海軍提督との面談時間を指定する | |
同日 | 高柳楠之助より返答が届き、手紙を書く | |
同日 | 交渉が順調な事を知らせる手紙を伊藤九三にあて書く | |
二八日 | 伊藤九三に長崎での世論が海援隊に有利な事と他二通の手紙を書く | |
同日 | 楢崎龍に近況を報告し、下関に立ち寄れない事を詫び、他一通の手紙を書く | |
同日 | 紀州藩、薩摩藩士五代才助に調停を依頼する | |
同日 | 紀州藩士岡本覚十郎・高柳楠之助と共に龍馬襲撃のため、僚喰町の宿をたずねるも不在のため断念 | |
二九日 | いろは丸事件の賠償額について調査不十分を理由に仲介者五代才助への対応を保留する | |
同日 | 小谷耕蔵・渡辺剛八らにいろは丸事件の交渉成立を伝えた手紙を書く | |
六月二日 | 紀州藩のいろは丸事件賠償について、後藤象二郎・岩崎弥太郎と密談のうえ大洲藩士大橋采女方をたずねる | |
三日 | 岩崎弥太郎をたずね、その素心を聞く | |
同日 | 後藤象二郎と面談し、小銃の代価について五代才助方へ出かける | |
五日 | かねて長州より売却以来のあった銅の代価を受け取る | |
六日 | 岩崎弥太郎と大洲藩士玉井俊次郎をたずね、いろは丸事件について談ずる | |
八日 | 中江某と出会う | |
九日 | 岩崎弥太郎から餞別として馬乗袴を送られ、後藤象二郎と共に海路を京都へむかう | |
一〇日 | 下関へ寄港 | |
同日 | 桂小五郎に荘村助右衛門の紹介状を書く | |
一二日 | 兵庫に至り、長崎からの途上中「船中八策」成る | |
一五日 | 京都明保亭の中岡慎太郎をたずねる | |
二二日 | 薩土盟約が成立し、龍馬・中岡慎太郎も浪士代表として同席 | |
二三日 | 佐々木三四郎・毛利荒次郎、大政奉還建白書の修正について会々堂で龍馬・中岡慎太郎と面談 | |
二四日 | 早朝より乙女・おやべにあて後藤象二郎との和解についての弁明や乙女の出奔を諭すなど長文の手紙を書く | |
同日 | 権平へ西郷吉之助に託した「吉行」の礼を述べるとともにいろは丸事件についてふれた手紙を書く | |
同日 | 上記二通の手紙を届けるよう望月清平に依頼状を書く | |
二五日 | 中岡慎太郎と共に岩倉具視をたずね面談 | |
二六日 | 土佐藩・薩摩藩・安芸藩、王政復古実現のため薩土芸三藩約定書を結ぶ |
(平成某年某月某日識)