坂本龍馬紀直柔之墓
坂本龍馬紀直柔。「坂本氏家系」には
紀姓ト云或藤原氏とある。
濤次郎とのみ見え、フルネームでは慶応三年五月中旬と推定される寺田屋伊助書簡に初出する。
才谷とのみ見え、フルネームでは同年十一月十六日付溝淵広之丞宛宛書簡に初出する。ちなみに現在一般のよみには「さいたにうめたろう」と「さいだにうめたろう」で混用が目立つが『アーネスト・サトウ日記抄』には
Saedani Umetaroとあり、地名南国市才谷地区も"谷"は濁音でよまれる。
取巻の抜六として初出。また慶応三年五月中旬頃に推定される寺田屋伊助の書簡には
取巻抜六と記される。
慶応三丁卯十一月十六日闘死とある。
今般靖国神社ヘ合祀被仰付候条との達があったのは明治十四年五月二七日付。明治十六年五月には合祀の祭礼が催された。
明治後期〜昭和初めに書き残したとされる平成二七年(2015年)に内容の確認された資料によると、長刀兵法目録のほかに
1910(明治43)年当時は兵法(剣術)の目録と皆伝書が存在。3年後の火災で焼失したそうである(「龍馬の脇差しが高知に到着 高知県立記念館で来月から展示へ」)。資料には初伝クラスのはずの「北辰一刀流長刀兵法目録」が
北辰一刀流長刀兵法皆伝としてみえているので
北辰一刀流兵法箇条目録・
北辰一刀流兵法皆伝も正確には初伝と中伝クラスの免許状に該当するか(「龍馬、やはり剣の達人…兵法皆伝の巻物実在記述」)。
千葉道場で中目録まで進んでいたとある。これが記録か口伝かは不明。修業期間と小千葉道場塾頭の経歴を考慮すればこのぐらいが妥当だろう。同時代に中目録にあわせ道場を開設した例としては清河八郎がおり、同流では中目録免許が教授認可にあたっていたか。
実録北辰一刀流 よみがえる北斗の剣 | 星耕司,小西重治 | 河出書房新社 |
坂本龍馬とその一族 | 土居晴夫 | 新人物往来社 |
龍馬暗殺の真犯人は誰か | 木村幸比古 | 新人物往来社 |
坂本龍馬伝 日本伝記叢書 | 千頭清臣 | 新人物往来社 |
坂本龍馬と刀剣 | 小美濃清明 | 新人物往来社 |
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龍馬暗殺 完結篇 | 菊地明 | 新人物往来社 |
定本坂本龍馬伝 青い航跡 | 松岡司 | 新人物往来社 |
坂本龍馬の系譜 | 土居晴夫 | 新人物往来社 |
坂本龍馬 男の幸福論 | 宮地佐一郎 | PHP研究所 |
坂本龍馬全集 増補四訂版 | 宮地佐一郎 | 光風社出版 |
幕末志士愛刀物語 | 長野桜岳 | 雄山閣出版 |
ついに解明!龍馬の花押 140年目の新発見書簡に記された花押の真偽を検証 | 桐野作人 | 『歴史読本』2010年4月号 |
龍馬、やはり剣の達人…兵法皆伝の巻物実在記述 | 読売新聞H27.10.14 | |
龍馬の脇差しが高知に到着 高知県立記念館で来月から展示へ | 高知新聞H27.11.09 |
(平成某年某月某日識/平成二九年一月二九日訂)