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龍馬誕生〜生誕日〜


 天保六年、龍馬は土佐国高知城下上町本丁筋一丁目にその生をうけた。生誕日には

●一〇月一五日庚午(太陽暦1835年12月4日)
汗血千里駒』(坂崎紫瀾:明治一六年)
阪本龍馬』(弘松宣枝:明治二九年)

●一一月五日(1835年12月24日)
坂本龍馬直柔本伝』(高松太郎:明治十年代)

●一一月一〇日(1835年12月29日)
維新土佐勤王史』(瑞山会:大正元年)

●一一月一五日(1836年1月3日)
坂本龍馬伝』(瑞山会:未刊行)
坂本龍馬』(千頭清臣:大正三年)
雋傑坂本龍馬』(坂本中岡銅像建設会:大正十五年)

の四説がある。

 戸籍制度が現在のように整備されていなかった時代、当然その誕生日が記録されているはずもなく、正確な日付を特定することは現在難しい。

お龍

 当時は年齢のかぞえかたに年初ごと一歳をくわえる数え年が慣習・採用されており、誕生日を別段記憶する必要がないため、うえのように不確かな諸説が入り乱れることになる。

 だだ龍馬の場合は現在妻お龍の証言もあって、一一月一五日説が一般化している。

●楢崎龍の証言(『千里駒後日譚』)

龍馬の生まれた日ですか、天保六年の一一月一五日で、ちょうど斬られた日と一緒だと聞いておるのですが書物には一〇月とあります。どちらが真か分かりませぬ

 証言は明治三十二年に聴取されたものなので、お龍のいう書物とは『汗血千里駒』か、『阪本龍馬』のいずれかとなる。しかし、この証言を読む限りでは、お龍本人も自分の情報に些か自信がないようで、これをもって確説とするのには抵抗をおぼえる。

 坂本家あるいは龍馬自身から聞いたであろう情報なら信頼性は高いものの、龍馬の甥にあたる高松太郎が原本を執筆したと見られる『坂本龍馬直柔本伝』は一一月五日説をとる。

 この説ならなら「十」の文字が脱落した誤記あるいは誤植の可能性も考えられるので、私としては一一月五日説ないし一五日説をおす。もっとも記録として残っていない以上、結論のでる話しではないが。

(平成某年某月某日識/平成二二年六月八日訂)

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