天保六年〜安政五年
北辰一刀流
北辰一刀流(剣術・鑓術・薙刀術・抜刀術)
嘉永六年から龍馬が修行した「北辰一刀流」とは、そもそもどのような流派なのか。ここでは北辰一刀流について簡単に説明をしてみたい。
北辰一刀流の流祖・千葉周作は初め千葉家々伝の「北辰夢想流」を父千葉忠左衛門(幸右衛門)について学び、父にともなわれて江戸の近郊松戸へ移住すると、ここに道場を構えていた浅利又七郎(義信)について「小野派一刀流」の「中西派」を修行した。一般的には文化十三年(1816年)に義信から「免許」を授かったのち、その紹介で中西忠兵衛(子正)の門へ通うようになったと伝わるが子正から周作へ授けられた「伝書」によれば「文化十二乙亥歳」と明記されている。すると義信から「免許」を授かる以前から周作は両道場へ通っていたということになる。
中西門での修行を終えた(「免許」を授かったとする説もあるが最終的な伝位は不明)周作は浅利家の養子となり義信の妻の姪を嫁として迎えている。しかし中西派の組型を改変しようとして義信と意見がぶつかり、その対立から浅利家と絶縁。義信から授かった伝書や系図類を返却し、妻をつれて独立したという。だが先に記述した中西子正から授かった伝書は今なお現存しており、天保二年(1831年)に死去した父忠左衛門の過去帳には「浅利又市良の父」(周作は養子になってから又七郎を襲名)と記されている由である。そのため、この絶縁騒動に疑問符を投げかける歴史家もいる。
ともかく独立後の周作は武者修行として下野・上野・甲斐・武蔵・駿河・遠江・三河・信濃の各地をまわり文政五年(1822年)頃、北辰夢想流と小野派一刀流(中西派)を「両伝合法」し「北辰一刀流」を創始した。従来、小野派一刀流の伝位形式は八段階に別れていたが北辰一刀流ではこれを「初目録」「中目録免許」「大目録皆伝」の三段階に簡略化している。ちなみに北辰一刀流において成功した経営手段の多くは周作の弟千葉定吉の発案によるという。
周作は初め江戸日本橋品川町に道場を開いていたが文政五年に神田お玉ヶ池へ道場を移し「玄武館」を開設。以後、周作の合理的な教授法や定吉の経営手腕も相まって玄武館は「江戸三大道場」の筆頭に挙げられるほどの隆盛をみせる。なお嘉永四年に浅草観音堂へ掲げた奉納額には連署する一族一門が約三千六百人におよんだという。
北辰一刀流「両伝合法」の一つとなった北辰夢想流の開祖は千葉常之丞という相馬中村藩士で、千葉之介を流祖とする家伝の「北辰流」をよく使った。ある時、君前で同藩の上山角之進と試合ったが敗れたため発奮し、相馬の北辰妙見宮に参籠して熱心に武術の上達を祈願したところ、神霊に剣法の秘訣を授けられる夢を見、自ら北辰夢想流を称するに至ったと伝わる。(ただし北辰一刀流の伝書によると流祖は常之丞では無く「千葉平左エ門」となっている)
一方の小野派一刀流は著名な剣流なので詳しく記さないが、伊藤一刀斎について一刀流を学んだ御子神典膳(小野次郎右衛門忠明)の息子 小野次郎右衛門(忠常)から発する流派で、中西派と称されたのは小野次郎右衛門(忠一)門から独立した中西忠太(子定)の系統を指す。
龍馬は嘉永六年、千葉定吉道場において北辰一刀流の修行を行い、安政三年の江戸再遊では定吉道場および玄武館の両道場で修行に励んでいることが同時代史料からも確認することできる。定吉の娘・千葉佐那の証言によると周作と龍馬の間には交流が無かったらしく「坂本さんは伯父周作とは無関係で」と語っている。すると龍馬が玄武館に通いだしたのは周作の死後(周作は安政二年没)のこと、つまり二度目の遊学からということになるのだろう。安政三年当時、玄武館を切り盛りしていたのは周作の二男と三男の千葉栄次郎と千葉道三郎である。特に栄次郎と龍馬は親しい交わりを結んだと伝わるから、それはこの頃からのことなのだろう。ちなみに安政四〜五年頃に玄武館へ在籍した土佐出身者は以下の通りである。
玄武館出席大概 土州藩 | |||
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馬淵桃太郎 | 山田広衛 | 美濃部民次 | 安田勝馬 |
坂本龍馬 | 藤本駿馬 | 近藤達吾 | 野村栄蔵 |
久松喜代馬 | 小南孫八郎 | 上田勝之助 | 寺田忠次 |
毛利荒次郎 | 岡本金馬 |
周作の創始した北辰一刀流からは剣客として名を馳せる者、志士として国事に奔走する者など数多くの人物が巣立ち、志士として坂本龍馬・清河八郎の名はつとに著名である。剣客としては「天変不可思議の剣の天才」海保帆平や「天然理心流開闢以来の大天才」と称される真田範之介、「鬼秀」こと下江秀太郎など数え挙げたらきりがない。
なお同流から分派した剣流に鈴木直之進の「天辰一刀流」、小栗驚三郎の「北辰真武一刀流」、桜田良佐の「中和一刀流」、伊東精一郎の「北心一刀流」などがある(新選組では山南敬助・藤堂平助・伊東甲子太郎らも北辰一刀流だと伝わるが、これにはいくつかの疑問がなくもない)。
(平成某年某月某日識)