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史料説明あ・か行〜ただし簡易に〜


 「考龍馬伝」にみえる史料名のうち、同時代史料ないし古典ともいうべき資料について、ここで簡単な説明をおこなう。『日本書紀』など非同時代史料・古典は、そちらまで説明してると際限がなくなるので対象の外。項目は予告・後告なく追加していく。本稿はア行・カ行。

●『維新土佐勤王史』(いしんとさきんのうし)
明治一七年(1884年)、土方久元・田中光顕・河野敏鎌など土佐勤王党の生き残りたちが、土佐尊王派の殉難者を顕彰する目的で編纂を開始した伝記。執筆は坂崎紫瀾の手になるが、あらかじめ資料とした個々の人物伝については、それぞれ別に元々の執筆者がいる。刊行は大正元年(1912年)。
●「小栗流和兵法三箇条」(おぐりりゅうやわらへいほうさんかじょう)
文久二年、師の日根野弁治から弟子の龍馬に与えられた小栗流の伝書。同流では皆伝にあたる当家秘之極意京都国立博物館蔵、一巻、縦8.9cm、横187.5cm、平成一一年(1999年)国指定重要文化財(歴史資料の部)。
●「小原与一郎雑記抄」(おばらよいいちろうざっきしょう)
土佐藩士小原与一郎の雑記抄録。文久二年(1862年)三月〜同一二月までの国事関係の記事を中心におさめる。小監察や他藩応接役をつとめたゆえもあって、土佐藩の上洛前中後の状況にくわしい。
●「小原与一郎雑録」(おばらよいいちろうざつろく)
土佐藩士小原与一郎の雑記録。筆記期間や原本については我未詳。
●『海舟日記』(かいしゅうにっき)
文久二年(1862年)八月一七日から明治三一年(1898年)一二月三一日まで、一部とびとびで記される勝海舟の日記。原本は二五冊で、明治四〇年(1907年)に抄出されたものが『海舟日誌』として刊行されている。現在、勁草書房版・講談社版・江戸東京博物館版の三種あり。
●『汗血千里駒』(かんけつせんりのこま)
明治一六年から『土陽新聞』に連載された龍馬を題材とする初の伝記小説。龍馬の生涯が広く世に知られる契機となった作品で、この連載により土陽[新聞]の紙価、為に貴しとも称された。著者は坂崎紫瀾。
●『行餘集』(ぎょうよしゅう)
慶応三年(1867年)序文。版元葎屋。殉難志士たちの詩歌文集らしいのだが、内容については私は未詳。
●『近世義士銘々伝』(きんせぎしめいめいでん)
川村敬一郎著。岡三慶編纂。明治一〇年(1877年)刊行。二巻よりなる殉難志士たちの詩歌文集。みひらきで小伝、詩歌、人物画を載せる。
●『近世殉国一人一首伝』(きんせじゅんこくいちにんいっしゅでん)
城兼文編纂。明治二年(1869年)刊行。四巻よりなる殉難志士たちの詩歌文集。
●『近世報国志士小伝』(きんせほうこくしししょうでん)
城兼文編纂。版元文求堂。明治三年(1870年)刊行。副題に「一名余材小伝集」とある殉難志士たちの詩歌文集。
●『近世報國赤心士鑑』(きんせほうこくせきしんさむらいかがみ)
西村兼文編纂。明治九年(1876年)出版の次第不動(といっても文字の用法は通常番付にならっている)見立番付。安政五年より慶応三年までに活躍した志士たちを対象に総員二七三名より構成。
●『近世報国百人一首』(きんせほうこくひゃくにんいっしゅ)
高畠藍泉編纂。版元政栄堂。明治八年(1875年)刊行。小林永濯と歌川芳虎による絵のついた変態百人一首。幕末期の人々がおもな採歌対象。
●『勤王者調』(きんのうしゃしらべ)
明治政府は国家による顕彰を徹底させるため明治二六年(1893年)、各都府県にたいし叙位からもれた勤王家の調査を命じ、そのさい高知県下で石田英吉知事によってまとめれたものが本書。執筆者は田野学館で教授役をつとめ、独龍組二三士とも交友のあった山本左右吉。
●『愚菴筆記』(ぐあんひっき)
土佐西部尊王派の首領として知られる樋口真吉の日記。国事勤王活動にかんする事歴のみを記し、文久元年(1861年)九月からはじまり慶応三年(1867年)二月にておわる。通称『樋口真吉日記』、外題『遣倦録』、『愚菴筆記』は内題によった。原本は四万十市郷土資料館蔵。
●『黒川秀波筆記』(くろかわひでほひっき)
筆者の黒川秀波について詳しくは不明、青山忠正氏は幕臣と推定されている。文久三年(1863年)から明治元年(1868年)にいたる日記体の雑録、全ハ六冊。原本は国立公文書館の内閣文庫蔵。
●『江月斎日乗』(こうげつさいにちじょう)
長州藩志士の領袖 久坂玄瑞の日記。同藩および他藩士らとの交流が綴られ、当時の情勢を知るに格好の好史料。
●『興風集』(こうふうしゅう)
版元は松下村塾および田中屋治兵衛。明治元年(1868年)刊行。「興風後集」は西村兼文の編纂により翌年刊。殉難志士たちの詩歌文集。
●『古今鍛冶備考』(こきんかじびこう)
文政十三年(1830年)に出版された山田浅右衛門吉睦の著書。「首斬り浅右衛門」として知られる山田家は将軍家御様御用として試し斬りを世襲し、その職権を活かして刀の切れ味を四段階(最上大業物>大業物>良業物>業物)に分類しまとめている。
●『小松藩会所日記』(こまつはんかいしょにっき)
享保元年(1716年)から慶応二年(1866年)まで、伊予国小松藩で家老が代々書き継いでいた日記。内容は公用や政務に関することが中心。
●『玄武館出席大概』(げんぶかんしゅっせきたいがい)
安政四〜五年(1857〜58年)ごろ、北辰一刀流玄武館に在籍したとみられる門弟など三百九名を藩や所属別に分類・記録した史料。当時、玄武館に出入りした人物を知ることができる。著者は清河八郎。

(平成某年某月某日識/平成二八年一一月二七日訂)

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