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史料説明さ・た行〜ただし簡易に〜


 「考龍馬伝」にみえる史料名のうち、同時代史料ないし古典ともいうべき資料について、ここで簡単な説明をおこなう。『日本書紀』など非同時代史料・古典は、そちらまで説明してると際限がなくなるので対象の外。項目は予告・後告なく追加していく。本稿はサ行・タ行。

●『酒泉直滞京日記』(さかいずみただしたいきょうにっき)
文字通り、水戸藩士酒泉彦太郎直の滞京日記。
●『坂本氏家系』(さかもとしかけい)
京都国立博物館蔵。資料集(宮地佐一郎『坂本龍馬全集』・京都国立博物館『坂本龍馬関係資料』など)では「坂本氏家系図(一)」として紹介される家系図。「坂本太郎五郎」から「高松習吉」(のちの坂本直寛)までをおさめる。
●『坂本中岡両氏遺墨紀念帖』(さかもとなおかおかりょうしきねんいぼくちょう)
明治三九年(1906年)坂本中岡弔祭会により出版された遺墨集。
●『坂本龍馬』(さかもとりょうま)
大正三年(1914年)に刊行された龍馬の伝記。歴史家 平尾道雄氏がもっとも推賞した龍馬伝だけあって、その完成度は高い。著者はナポレオン研究などで知られる千頭清臣とされるが、平尾氏の伝える裏話によると、歴史家 田岡正枝が千頭のゴーストライターとして筆をとったものという。
●『阪本龍馬』(さかもとりょうま)
明治二九年(1896年)に刊行された龍馬の伝記。著者は高松家の縁戚で、坂本家ともつながりのある弘松宣枝。
●『坂本龍馬桂小五郎遺墨』(さかもとりょうまかつらこごろういぼく)
龍馬書簡を八通、和歌詠草を二葉、俚謡詠草を一葉、父坂本八平直足からの訓戒書一葉、姉千鶴からの書簡一通、桂小五郎(ただし木戸準一郎時代)からの書簡一通をおさめる巻物仕立ての史料集。京都国立博物館蔵、一巻、縦36.5cm、横1146.5cm、平成一一年(1999年)国指定重要文化財(歴史資料の部)。
坂本龍馬桂小五郎遺墨の張付構成
A……龍馬宛。嘉永六年三月。
B……龍馬宛。慶応二年(1866年)二月二二日。
C……年代不詳。
D……年代不詳。
E……慶応三年(1867年)八月五日。
F……慶応三年六月二四日。
G……文久三年六月(1863年)二九日。
H……年代不詳。
I……慶応三年一〇月九日。
J……推定安政三年秋。
K・L……慶応元年(1865年)九月九日。
M……慶応二年一二月四日。
N……慶応三年四月。
O……文久三年三月二〇日。
●『坂本龍馬関係文書』(さかもとりょうまかんけいもんじょ)
大正五年(1916年)秋「坂本・中岡両雄五十年祭典」以来、岩崎鏡川が一〇年にわたって諸家の記録・文書を渉猟した龍馬関係の文書史料。龍馬研究におけるその功績は、極めて大きく計り知れない。
●『坂本龍馬伝』(さかもとりょうまでん)
瑞山会の編纂になる龍馬の伝記。『防長回天史』などにも引用されるが未刊行。明治なかばに完成か。
●「坂本龍馬の未亡人を訪ふ」(さかもとりょうまのみぼうじんをおとなう)
明治二六年(1893年)『女学雑誌』に掲載された談話記事。龍馬と千葉佐那の婚約について語られている。
●『坂本龍馬直柔本伝』(さかもとりょうまなおなりほんでん)
高松太郎(海援隊士・龍馬の甥・龍馬後嗣)が原筆にあたったとみられる龍馬をあつかった最初の伝記。明治一〇年代成立と推測される。未刊行。
●『佐々木老侯昔日談』(ささきろうこうせきじつだん)
大正四年(1915年)に刊行された土佐藩士佐々木三四郎の昔日談。佐々木自身の日記『保古飛呂比』に基づいて談話がおおいものの、当時を回顧した語り口には『保古飛呂比』とは一味ちがった面白味がある。談話筆記は明治三六年〜四二年(1903〜1909年)にかけて行われた。
●「修行中心得大意」(しゅぎょうちゅうこころえたいい)
嘉永六年(1853年)三月吉日(=一七日)、江戸へ出立する龍馬にたいし父 八平があたえた訓戒書。べつに「坂本八平訓戒書」とも称され、龍馬は終生この書をお守りとして大切に保管、いまも『坂本龍馬桂小五郎遺墨』に貼りこまれ現存する。縦30.5cm、横46.5cm。
●『雋傑坂本龍馬』(しゅんけつさかもとりょうま)
大正一五年(1926年)に刊行された龍馬の伝記。坂本中岡銅像建設会の編纂による。
●『殉難草』(じゅんなんそう)
青雲閣兼文編纂。版元は田中治兵衛および近江屋卯兵衛など。「殉難前草」・「殉難後草」・「殉難遺草」・「殉難続草」(=馬場文英編纂「殉難拾遺」龍巻・虎巻改題)の四部よりなる殉難志士たちの詩歌文集。慶応四年(1868年)から翌年の刊行。
●『諸人伝記六十一・勤王家小伝』(しょじんでんきろくじゅういち・きんのうかしょうでん)
坂本龍馬など勤王家諸人の事歴をまとめた伝記資料。木村幸比古氏によると明治十六年(1883年)から明治二四年(1891年)以前に成立という。岩倉具視ゆかりの対岳文庫に所蔵されており、龍馬の事歴は高松太郎らの調査によってまとめられたと推測されている。
●『白石正一郎日記』(しらいししょういちろうにっき)
長州支藩清末の御用商白石家にうまれ、薩摩藩との交易や尊王運動にも活躍した白石正一郎の日記。安政四年(1857年)から明治一一年(1878年)までの日記(ただし明治六年から明治九年まで欠く)が現存する。
●『真覚寺日記』(しんかくじにっき)
土佐国宇佐の真覚寺僧侶静照の日記。俗世間での事件や噂話などを筆まめに記しており、その内容は安政年間から明治までおよぶ。
●『振氣篇』(しんきへん)
帝尨山人原輯・春荘冗史補輯。版元は敦賀屋喜藏・文敬堂など。明治二年(1869年)刊行。詩文篇・國風篇の二部よりなる殉難志士たちの詩歌文集。
●『随聞随録』(ずいもんずいろく)
土佐史談会創設者の一人である中城直正が慶応三年九月二三日の龍馬来宅について、母の早苗から聞き記した備忘録。『中城直正覚書』とも呼ばれる。
●『枢密備忘』(すうみつびぼう)
福井藩士中根雪江の執務日記とされる史料。『続再夢紀事』編纂に資料として利用されているが所在不明。『大日本維新史料稿本』などにも記事が断片的に残る。
●『住谷信順日記』(すみやのぶずみにっき)
水戸藩士住谷寅之介の日記、「信順」はその実名。本項では便宜上『住谷信順廻国日記』・『住谷信順囘國紀行』(安政五年一〇月水戸出立から一一月九日摂津尼崎まで)・『住谷信順道中日記坤』(安政五年一一月一〇日大坂出立から翌年一月二一日帰国まで)・『住谷信順日記』(文久元年五月一日起筆)など、諸日記の総名として立項した。原本は個人蔵で、写本は東京大学史料編纂所蔵。
●「関雄之助口供之事」(せきゆうのすけこうきょうのこと)
沢村惣之丞(変名:関雄之助)が口述したという脱藩行程の覚え書き。龍馬の義兄高松順蔵が明治六年(1873年)に書き写したもので、現在に伝わるのは明治六年作成のソレを、さらに昭和四三年(1968年)に書き写したものという。
●「千里駒後日譚」(せんりのこまごじつのはなし)
「土曜新聞」明治三二年一一月三日付から六回にわたり掲載された川田雪山による楢崎龍への聞き書き。安岡秀峰による「反魂香」などにくらべ、聞き手による改変はやや少ないような印象。
●「続再夢紀事」(ぞくさいむきじ)
明治二十三年(1890年)松平茂昭の命により村田氏寿・佐々木千寿らによってまとめられた松平春嶽・福井藩に関わる歴史資料。文久二年(1862年)四月から慶応三年(1867年)十月までをおさめる。名は中根雪江の『昨夢紀事』・『再夢紀事』に習い編纂されたことにちなむ。
●「尊攘遺墨」(そんじょういぼく)
幕臣山岡鉄太郎が明治一六年(1883年)に開創した禅宗全生庵におさめられた文書。龍馬の真蹟ではないが、連名書署名に「坂本龍馬」の名を確認できる。
●「武市瑞山年譜」(たけちずいざんねんぷ)
その名のとおり武市半平太の動向を年代順にまとめた岩崎英重編纂による年譜。今では否定されるべき事項もみえるが、参考とすべき箇所も多い。
●「歎涕和歌集」(たんていわかしゅう)
宮地維宣編纂。渡忠秋による慶応三年(1867年)一二月末ごろの序文がつく、殉難志士たちの詩歌文集。初編から四篇まで順次刊行されたもよう。

●「千葉灸治院」(ちばきゅうちいん)
高本薫明氏が『土佐史談』一七〇号に掲載した千葉佐那自身の証言談話。龍馬との関係などについて語られている。
●「丁卯日記」(ていぼうにっき)
福井藩士中根雪江による慶応三年の手記。
●「追賛一話」(ついさんいちわ)
明治二十三年(1890年)勝海舟の著述。江戸中期以降の人物について海舟が評言をくわえている本。龍馬との出会いや西郷隆盛への龍馬評が載っている。
●『訂正及門録』(ていせいきゅうもんろく)
嘉永期以降における佐久間象山の私塾門人帳。ただし門人帳の原本ではなく、いくつかの写本や関係史料をもとに作成された門人帳資料という点に注意。同一人物の重複表記やその所属藩の分類にもいくつかのミスが見受けられる。
●『寺村左膳道成日記』(てらむらさぜんみちなりにっき)
土佐藩士寺村左膳の日記。便宜上、実名を「みちなり」と読んでみたが「みちしげ」な気もするので正直不安。原本の所在は不明で、写本が青山文庫に蔵される。文久二年正月から一二月、文久三年正月から一〇月、慶応三年四月から一二月までの三冊よりなる。横田達雄氏の例言によれば『維新日乗纂輯』所収『寺村左膳手記』は本書の要約とおぼしい。
●『藤陰略話』(とういんりゃくわ)
明治二〇年代、近藤長次郎の贈位調査のおり、その履歴について問われた河田小龍が答えた回顧記。「藤陰」とは長次郎の号で、彼の履歴だけでなく龍馬と小龍らの出会いについても語られている。
●『土藩坂本龍馬伝』(どはんさかもとりょうまでん)
山口県立文書館「毛利家文庫他藩人履歴」中にみえる坂本龍馬の伝記。馬場文英の筆と推測される注記によると『諸人伝記六十一・勤王家小伝』を原書とするらしくも読み取れる。本文自体は瑞山会によるものか。

(平成某年某月某日識/平成二八年一一月二七日訂)

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