天保六年〜安政五年
洟垂れ龍馬?
世に伝わる龍馬伝の多くは、その幼少期を愚童であったと伝えている。代表的な例として千頭清臣『坂本龍馬』の記述を以下に引用してみよう。
●『坂本龍馬』の愚童説(『坂本龍馬』)
世の龍馬伝曰く、初め龍馬は怯懦にして、暗愚なる如く、居常寡黙、十歳を過ぎても夜溺れ(寝小便なり、土佐の方言)の癖止まず、隣人称して洟垂(痴児の意、亦土佐の方言なり)という。十二歳の時、始めて市外小高坂楠山(或は志和ともいう)某の学舎に入りしも、業進まず通学の途上屡々学友に揶揄せられ、泣きて帰る。
ほかにも龍馬の愚童説を裏書きする証言として、小栗流日根野弁治道場で師範代をつとめた土居楠五郎の孫にあたる人物の証言道場へ来て龍馬は心機一変、おねしょも泣き虫も一ぺんに飛んでしもうた
などがある
しかし千頭清臣は同書の第二版の増補で疑わしき話
と題し自ら先の愚童説を否定し、同時に龍馬の大器晩成説をとなえている。
●『坂本龍馬』の非愚童説(『坂本龍馬』)
坂本の幼年時代は真の馬鹿にてありきと評し居る者あり。こは大なる間違いなりと聞く。能く坂本の幼年時代を知れる先輩の話に依れば「坂本は決して馬鹿者にあらず。子供相當分別ありし人なり」と云う。要するに坂本が其姉に贈りし手紙の一に「どうぞ、私を昔の鼻汁垂れと思ひ下され間敷候云々」といふ物あり。是よりして子供時代を事實上まさしく馬鹿なりきと、誤解する人を生じたるかと察せらる。[中略]尤も當時其附近郷の婦人連が誰れ云ふとなく「龍馬さんはぼんやりだ」と謂い居りしと聞く。これ或は実を得たる批評ならむか。所謂大器晩成とは是等の謂なるべく、坂本は断じて現代青年の如き小才子にてはあらざりしなり。
無論、伝記や証言の類いには後世ゆえの膨張も多々みられるだろうし、ましてや人の印象ともなれば往々主観が入り込みやすく、個人々々によって見方が変わってくるのもまた当然だろう。
ただ伝記や証言を総合する限り、幼年期の龍馬には「神童」や「秀才」といった才気簡抜といった面影は少なくとも見られない。當時其附近郷の婦人連
がいうようにどこかぼんやり
とした少年とみるのが無難なような気もする。
(平成某年某月某日識)