天保六年〜安政五年
龍馬の変化
日根野道場に通うようになった龍馬を『維新土佐勤王史』は剣術を日根野弁治に学や、不思議にも気質頓に一変して別人のごとく、その技もまた儕輩を凌ぐに到れり
と評している。それを証明するかのように、この頃と思われる龍馬にはいくつもの逸話が存在する。ここでは、そんな龍馬の逸話を三つほど紹介しておこう。
●風雨の水練
龍馬は土佐の如き海国に生れたらん者は、一通り水練の術を心得置かでは叶わぬ事なりとて、其師に就きて毎日稽古に通いけるが、或る朝風雨烈しく吹き荒るるをも厭はで、龍馬は甲斐々々しく蓑笠打着て稽古の場に赴く途中、測らずも師の某に行逢いければ、某は龍馬の体を見て大いに訝り「何処にゆかるるや」と問えば、龍馬は「此は仰せまでもなく稽古にまいり候なり」と答えけるにぞ、某は呆れて果てて「此の天気ゆえ今日の稽古は休みて候え」というに、龍馬聞もあへず呵々と打笑い「否、河水に入る稽古なれば晴雨となくぬるる覚悟いたしてこそ候」とて嘲りける。
●天狗退治
いつの頃よりか、市外潮江に一怪僧来り、自ら講して「天狗の使者なり」といい、愚夫愚婦を欺きて糊口の資を貪る。公文左源太なるもの深く之を憤り、龍馬に謀りて曰く「願はくば君と共に怪僧を懲らさん」と。龍馬之を諾し、深更怪僧を訪い、其の天狗台なるものに導かる。臺は屋上にありて、祭壇を設けたり。怪僧曰く「跪拝して仰ぎ見る勿れ。石槌蔵王権現(伊掾石槌山に祭る)の降臨あらん」と。龍馬壇下に伏し、待つこと良時、忽ち壇後に黒影現われ、奇聲を発して「我こそは神霊なれ」という。言未だ畢らず、龍馬一躍して黒影を捕え、面に鉄拳を加う。黒影叫んで曰く「請う赦せ、我は天狗の使者その人なり」と。龍馬太く其の邪智を罵り、即夜之を他郷に逐う。或は曰く此の事、乙女子の為す所なりと。
●工事監督
龍馬は父の友某の配下として幡多郡に土工を督せしことあり。工夫龍馬が人を役するの妙を賞して曰く「坂本の旦那に使わるる時は何の苦もなく仕事が運ぶ。其の代り、仕事終われば疲憊して五体が利かぬ」と。是れある哉、後年龍馬が人を統率するの才に長じたるも亦偶然にあらざるなり。
(平成某年某月某日識)