慶応三年(1867年) | ||
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三三歳 | 七月一日 | 中岡慎太郎と共に十津川屋敷へ向かったのち、松本楼に後藤象二郎をたずねる |
二日 | 西郷吉之助より後藤象二郎にあて、柏亭にて有志らと集会を開きたい旨を伝えられる | |
四日 | 長岡謙吉と共に京都から大坂へ下る | |
五日 | 大坂にいたる | |
六日 | 長崎で英国軍艦イカルス号の水兵二名が殺害され、海援隊士にその嫌疑がかかる | |
九日 | 黒田了介・永山弥一郎らの訪問をうける | |
中旬頃 | 幕府の兵庫商社設立に対し、対抗策を案出する | |
一八日 | 陸奥陽之助「商法の愚案」成す | |
二〇日 | 京都へ戻る | |
二五日 | 太極丸水夫による殺人事件の対処方について西郷吉之助をたずねる | |
同日 | 高松太郎に太極丸事件について手紙を書く | |
二七日 | 福岡藤次と共に伊予宇和島藩主伊達宗城に拝謁 | |
二九日 | 松平春嶽から託された手紙を届けるため土佐へむかう佐々木三四郎を追い京都より大坂へ下る | |
八月一日 | 佐々木三四郎を追い三邦丸に乗船し、話し込むうちに出帆、そのまま土佐へむかう | |
二日 | 三邦丸、須崎港に入港するも龍馬は上陸せずに夕顔丸船中に潜伏 | |
五日 | 長岡謙吉と寺田屋登勢にあて、土佐へ到着した旨を伝える手紙を書く | |
七日 | イカルス号事件の審判がイギリス艦において行なわれ、結論が出ないまま翌日に持ち越される | |
八日 | イカルス号事件、長崎での審問となる | |
同日 | 権平にイカルス号事件の釈明と「了戒」の刀を所望する手紙を書く | |
同日 | 須崎に来ていた河原塚茂太郎をたずね面談、権平宛書簡を託すという | |
一二日 | 佐々木三四郎・岡内俊太郎らと共に夕顔丸で長崎へ出帆 | |
一三日 | 夕顔丸の船中にて佐々木四郎と談話 | |
一四日 | 下関に寄港し、佐々木三四郎へ楢崎龍を紹介したのち夕顔丸にて長崎へむかう | |
同日 | 三吉慎蔵に下関到着を伝え、友藩による連合艦隊結成の必要性を説く手紙を書く | |
一五日 | 長崎へ至り、佐々木三四郎方にて松井周助・岩崎弥太郎らと夜明けまで談ずる | |
一六日 | 佐々木三四郎をたずね、夜にも再訪、イカルス号事件の疑惑がかけられ出航中の横笛丸の処置について、松井周助・由比畦三郎・森田晋三・千屋寅之助・中島作太郎・渡辺剛八らと協議をかさねる | |
同日 | 陸奥陽之助にあて手紙を書く | |
一七日 | 岩崎弥太郎をたずね、雑談をして帰る | |
同日 | 佐々木三四郎をたずねる | |
一八日 | 佐々木三四郎をたずね、横笛丸呼び戻しについて談ずる | |
同日 | 佐々木三四郎と共に立山役所に出頭 | |
一九日 | 岡内俊太郎を中島作太郎方に招く手紙を書く | |
二〇日 | 料亭玉川にて佐々木三四郎に桂小五郎を紹介する | |
二一日 | 岩崎弥太郎に千両の借金を申し込む | |
同日 | 海援隊の探索費用として八両二分受け取る | |
同日 | 岡内俊太郎に長州船の出港予定を知らせる手紙を書く | |
二三日 | 岡内俊太郎に来訪を求めた手紙を書く | |
二四日 | 佐々木三四郎らと面談し、横笛丸の呼び戻しを協議、石田英吉らの派遣を決める | |
同日 | 石田英吉の派遣につき、佐々木三四郎に衣類代もしくは古着を遣わすように依頼状を書く | |
二五日 | 石田英吉に二十両遣わすよう佐々木三四郎へ依頼し、石田はその二十両を受け取る | |
同日 | 佐々木三四郎をたずねる | |
同日 | 岩崎弥太郎をたずねる | |
同日 | 岡内俊太郎に薩摩藩で私鋳している貨幣を持ち帰るよう依頼する | |
二六日 | 桂小五郎から礼状が届き、佐々木三四郎に回送する | |
同日 | 佐々木三四郎をたずねたのち、ともに藤屋へおもむく | |
二七日 | 福原往弥らの訪問をうけ、佐々木三四郎にその旨を伝える | |
同日 | 岩崎弥太郎に福原往弥らを紹介する | |
二八日 | 佐々木三四郎方をたずね、そのまま宿泊 | |
二九日 | 佐々木三四郎と昨夜からの話を寝所でも続ける | |
三〇日 | 岩崎弥太郎をたずね、国事を談じたのち、嘉満楼へむかう | |
同日 | 佐々木三四郎をたずね、キリシタンを利用しての討幕案などを語りあい宿泊 | |
九月一日 | 早朝より佐々木三四郎の病気見舞いへ向かい帰宅後、再び訪問 | |
二日 | 横笛丸呼び出しに向かった岡内俊太郎らが帰着する | |
同日 | 佐々木三四郎、西役所へ横笛丸の帰着を届けたのち、龍馬の宿泊する弘瀬屋をたずねる | |
同日 | 千屋寅之助のために岩崎弥太郎から「吉国」の刀を借用する | |
三日 | 松井周助と共に西役所で佐々木栄・渡辺剛八・橋本久太夫らの取り調べに立ち会う | |
同日 | 審問終了後、清風亭で戸田雅楽らを交えて盃をかわす | |
四日 | 佐々木三四郎、佐々木栄の帰着につき始末書を書かせ、奉行所に提出したのち龍馬と共に内田屋へおもむく | |
五日 | 同志らと佐々木三四郎をたずね、それより西役所へおもむく | |
同日 | 安岡金馬の招きに応じられず断る | |
初旬 | 佐々木三四郎を訪問中、安岡金馬より海援隊と幕府水夫とのもめ事を知らされ中島作太郎を呼び、その処置について諭告する | |
六日 | 船の借り入れとライフル銃千三百挺購入のため外出し、のちに訪問する旨を佐々木三四郎に伝える | |
七日 | 佐々木栄ら、微罪で放免のはずが、それも認めず長崎奉行所で徹夜の議論となる | |
同日 | 佐々木栄らの様子を伝える手紙を佐々木三四郎に書く | |
八日 | 佐々木三四郎、龍馬らを内田屋に招き慰労する | |
九日 | 佐々木三四郎と藤屋にて面談 | |
一〇日 | 佐々木三四郎と西役所に出頭し、佐々木栄ら無実の裁定をうけ、内田屋で祝杯をあげる | |
一一日 | 奉行所へ提出する書類の草稿を書く | |
同日 | 土佐商会員による外国人傷害事件がおき、龍馬は佐々木三四郎と相談のうえ土佐商会員らを奉行所に自首させる | |
一三日 | 土佐へむかうためライフル銃の代金を整え、買い付けを陸奥陽之助に任せる | |
一四日 | 岩崎弥太郎に土佐経由で大坂へ行く旨を伝える | |
同日 | 海援隊、龍馬名義でハットマン商社からライフル銃千三百挺の購入契約を結ぶ | |
一五日 | 出帆に備えてライフル銃を震天丸に積み込むも、オールトの依頼により出帆を延期する | |
一八日 | 佐々木三四郎に預けていた桂小五郎の手紙を返却してくれるよう依頼する | |
同日 | 岡内俊太郎・戸田雅楽・千屋寅之助らと震天丸に乗船し、長崎を出帆 | |
二〇日 | 下関へ寄港 | |
同日 | 伊藤俊輔と面談 | |
同日 | 桂小五郎にあて、土佐藩への銃器搬入の事や藩論変更などにふれた手紙を書く | |
同日 | 陸奥陽之助・千屋寅之助、京都へ向けて出立か | |
二二日 | 土佐へ向けて出帆 | |
二三日 | 中島作太郎・戸田雅楽らと土佐に下船し、中城家で入浴後、再び船に戻る | |
同日 | 岡内俊太郎を渡辺弥久馬のもとに派遣し、翌日の面会を取り付ける | |
二四日 | 渡辺弥久馬、龍馬と行き会えずに帰宅する | |
同日 | 渡辺弥久馬に薩長の動きを知らせ、面会を求めた手紙を書く | |
同日頃 | 坂本家と乙女にあて、暗に訪問を伝える手紙を書く | |
二五日 | 渡辺弥久馬らと面談 | |
二六日 | 長岡謙吉、大政奉還建白書の浄書をおこなう | |
二七日 | 本山只一郎にあて、藩論統一とライフル銃購入の結論を急ぐよう求めた手紙を書く | |
同日 | 龍馬の帰国にともない藩主・家老・近習・奉行などが出席する重役会議が開かれる | |
二八日 | 戸田雅楽をつれて約五年ぶりに坂本家へ帰り、当日と翌日に同志やその家族たちの訪問をうける | |
同頃 | 土佐藩から五十両贈られる | |
一〇月一日 | 震天丸、龍馬らと芸州兵士を乗せ、浦戸湾を出帆するも悪天候のため須崎港へ戻る | |
三日 | 高松太郎に出帆延期の可能性を伝えた手紙を書く | |
同日 | 大政奉還建白書が幕府へ提出される | |
五日 | 震天丸から空蝉丸に乗り換え、再び浦戸湾を出帆するも暴風雨のため機関を損じ須崎港に引き返す | |
同日 | 吉井幸輔に神崎則休の遺刀を贈る旨の手紙を書く | |
八日 | 空蝉丸で兵庫へ入港 | |
同日 | 大坂へ至り、薩摩屋で海援隊士や同志らと面談 | |
九日 | 大坂から京都へ上り、中島作太郎と共に酢屋へ宿泊 | |
同日 | 権平にあて、大坂到着を伝える手紙を書く | |
一〇日 | 中島作太郎・岡内俊太郎らと共に白川土佐藩邸の中岡慎太郎をたずねる | |
一一日頃 | 後藤象二郎にあて、銀座移転論を述べた手紙を書く | |
同日頃 | 後藤象二郎に二十両の借用を申し込む | |
一三日 | 酢屋から近江屋に宿を移す | |
同日 | 陸奥陽之助の刀を鑑定した手紙を書く | |
同日 | 登城前の後藤象二郎に決死の覚悟を促す手紙を書く | |
同日 | 後藤象二郎より決死の覚悟を伝える返書が届く | |
同日 | 後藤象二郎より大政奉還決定の報が届く | |
同日頃 | 戸田雅楽、龍馬の意をうけて「新官制擬定書」を作成 | |
同月中 | 御陵衛士伊藤甲子太郎・藤堂平助らの訪問をうけ、同席中の中岡慎太郎と共に身辺を警戒するよう忠告をうける | |
一五日 | 朝廷、幕府の大政奉還を受理する | |
同日頃 | 林謙三と面談し、大政奉還後の見通しを語る | |
一六日 | 神山佐多衛・田中幸助らと出会い、後藤象二郎をたずねたのち松力で酒を酌み交わす | |
一七日 | 吉井幸輔より近江屋からの退去をすすめられる | |
一八日 | 望月清平に転居先の周旋を依頼した手紙を書く | |
一九日 | 土佐に出立する望月清平を伏見まで見送る | |
同日 | いろは丸事件の賠償交渉のため中島作太郎を長崎へ派遣する | |
二二日 | 陸奥陽之助に「商法云々」にふれた手紙を書く | |
二三日 | 後藤象二郎から福井へ行ってくれるよう依頼をうける | |
二四日 | 岡本健三郎に福井出立の時刻を伝えた手紙を送り、ともに福井へ旅立つ | |
二八日 | 福井へ至り、村田巳三郎と面談 | |
三〇日 | 三岡八郎・松源太郎らが龍馬の宿をたずね面談 | |
一一月一日 | 福井藩主松平茂昭に拝謁し、三岡八郎との面会を望む | |
二日 | 三岡八郎と烟草屋にて面談 | |
三日 | 福井を出立 | |
五日 | 京都へいたる | |
上旬 | 「新政府綱領八策」を起草 | |
七日 | 陸奥陽之助にあて今後の経営や「世界の話」についてふれた手紙を書く | |
一〇日 | 福岡藤次と共に永井尚志をたずねるが面会できず帰る | |
同日 | 散歩途中の中村半次郎に出会う | |
同日 | 林謙三にあて返書を書く | |
同日 | 順助にあて百両の返金を求める手紙を書く | |
一一日 | 永井尚志と面談 | |
同日 | 永井尚志についてふれた手紙を林謙三にあて書く | |
一三日 | 王政復古確立のため岡内俊太郎を土佐へ、中島作太郎を長崎へ派遣する | |
一四日 | 潜伏先の土蔵から近江屋の二階へ移る | |
同日 | 永井尚志をたずね面談 | |
同日 | 坂本清次郎に長崎行の船便がある旨を伝えた手紙を書く | |
同日 | 寺田屋登勢、龍馬の身を案じ近江屋へ使いを出す | |
一五日 | 福岡藤次の下宿を二度に渡りたずねるも、福岡藤次は不在 | |
同日 | 中岡慎太郎の訪問をうけ面談、そこへ岡本健三郎・菊屋峰吉の訪問をうける | |
同日 | 伏見から戻った宮地彦三郎が近江屋を訪れ、階下より挨拶をかわす | |
同日 | 板倉筑前介、近江家を訪れ龍馬へ掛軸を進呈する | |
同日 | 岡本健三郎・菊屋峰吉が所用のため近江屋を離れる | |
同日 | 龍馬と中岡慎太郎、刺客の襲撃をうけ龍馬は同日に絶命、中岡慎太郎は一七日、下僕の山田藤吉は一六日に死亡する | |
一七日 | 悲報を聞いた海援隊士達が幕府の警戒網を潜り抜け近江屋へ駆け付ける | |
同日 | 龍馬・中岡慎太郎・山田藤吉の遺体が霊山に埋葬される |
(平成某年某月某日識)