史跡廻国記
京都史跡記(三)
大阪史跡記(一)
兵庫史跡記(一)
撮影地:大阪府三島郡島本町東大寺あたり
後鳥羽院「見わたせば 山もと霞む みなせ川 ゆふべは秋と 何思ひけむ」
(私解:時は夕刻、水無瀬の離宮より見わたせば、山から近く水無瀬川がながれ、春霞が遠く山麓をおおっている。「秋は夕暮れ」と清少納言『枕草子』をはじめ皆ははいうけれど、「春の夕暮れ」この美しさも特筆の景じゃないか)
うえの歌は『新古今和歌集』春歌上にのる日本文学史上有数の"歴史的"知名度をほこる後鳥羽院の御製、「水郷春望」の題詠である。
平安時代における和歌の用例をいくつか鑑みるだけでも理解できるが、本来「みなせがわ」とは「水無瀬」の文字が当てられるように「水の無き瀬」を意味する普通名詞。それは植物など遮蔽物で流れの見えない川であったり、伏流水や一時的な涸川などもふくめいう。
後代、普通名詞から名所歌枕へと意識のうつりゆく契機に『伊勢物語』などの諸文学作品、また後鳥羽院の影響を想像しつつ「かげる水 かげる流れにふるとしの 果てぬながれの 時ながしみむ」と内心即興で唱和してみた。
(なお、水無瀬川を本来は普通名詞だったと説いた本居宣長は、著書『玉勝間』において私家集『(源)重之集』を典拠に、現島本町「水無瀬川」の古名を「立田川」・「山崎川」だったとも説いている。訪問時、豆知識として想起した)
(平成某年某月某日識)