6月12日、旅行2日目、午前4時30分起床。前日、秋田県から近畿地方をへて福井県にいたり、この日から漸く史跡巡りを開始する。とりあえず、旧三国町こと現在の坂井市三国町へ出発のため、まずは駅へ足をはこぶ。
福井駅から三国神社駅へむかう始発電車の時刻は午前6時17分。時間つぶしと朝の散歩をかねながら、福井駅の東側、史跡巡りにそぞろ歩く。
■1.福井市手寄二丁目
写真は福井市立旭小学校。藩政期、同所手寄二丁目付近には馬術練習場がおかれ、花の見事さから一帯は「桜の馬場」と呼ばれていたそうだ。
文政二年、城下商人内藤喜右衛門の献金によって学塾が設けられ、これがのちの藩校の前身、学問所「正義堂」へと発展する。 |
■2.福井市日之出三丁目
幕末期福井藩を代表する儒学者兼教育者の一人、吉田悌蔵(号:東篁)の生誕の地碑。
その門に学んだ秀出には藩校明道館へ出仕していた時期もあわせて、鈴木主税・橋本左内・三岡八郎・村田巳三郎・杉田定一などがいる。
個人的に、はじめてその雅号を聞いたときには「一字違えば、土佐藩の某参政と同じ名前だ」とか思ったのは内緒。 |
■3.福井市日之出三丁目
福井城々門の一門「日出御門」の跡地、場所は福井地方合同庁舎まえ。
説明板によると日出御門とは「福井城内から外へ通ずる七つの主要な門のうち、地蔵町口の奥平門とともに、城の北東、志比口に属した城門の一つであった。日出御門は枡方(小広場)を挟んで二重の城門となり、内側の門は南側に、外側の門は東側に向き、これを中島二ツ門とも呼んだ」とのこと。
なお、二重に城門を構成した理由は、煙硝蔵がちかくに設けられたため。 |
と、ここまであたりを廻ったところで時刻も6時をすぎた模様。あとはえちぜん鉄道電車内で朝食をすませつつ、坂井市は三国神社駅へむかう。