三重史跡記(一)
三重史跡 H19.05.21
其之一
三重史跡 H19.05.22
三重史跡 H19.05.23
三重史跡 H19.05.24
三重史跡 H19.05.25
三重史跡 H19.05.26
史跡廻国記
三重史跡記(一)
京都史跡記(三)
兵庫史跡記(一)
平成19年5月21日、旅行2日目。昨20日はマルマル移動についやしたので本格的な史跡巡りは本日より開始。ゆえに史跡廻国記は本日に起筆す。
この日は午前4時30分に起床し、松阪駅(松阪市)からアサイチの電車で池の浦駅(伊勢市二見町松下)までまず移動。駅から国道42号線に出るまで旅行そうそう10分ちかく迷いながら、国道にて歩きながらの朝食を摂る。お行儀は悪いが時も惜しいので勘弁々々。
とりあえず今回の旅行は「神宮関係の神社や本居宣長ないし国文関係の史跡をばまわろう」という方針のもと、事前に調べたところによって林春信の詩碑にまず到着[右写真左]。下記の読み下し文は自己流につき、正誤については自信なし。
林春信は林鵞峰の長男で林羅山の孫にあたる人物。一般には「梅洞」ないし「勉亭」の号、「愨」の字(あざな)でもって知られる漢詩人。歳二十四で没した早熟の秀才で、林家の代表的著作『本朝通鑑』の編纂にも父鵞峰をたすけて従事した。なお、写真むかって左の説明碑には、春信について「林羅山の三男に生まれ」と刻されているが「それって親(林鵞峰)じゃない?」と思わずいぶかしむ。春信と鵞峰の伝を取り違えているのか、あるいは詩が鵞峰のもので春信の名が誤刻なのか、そこいら辺は当方よく知りません。
ついで旅荘海の蝶の裏手にある皇大神宮摂社「粟皇子神社」[右上写真右]にいたり参拝。祭神は「須佐乃乎命御玉道主命(すさのおのみことのみたまのみちぬしのみこと)」で、別名「淡海子神(あわみこのかみ)」。手元のパンフレット(JR東海作)によると、アマテラスとスサノヲの誓約によって誕生した海岸鎮護の女神だというから、神格的には所謂「宗像三女神」の一神タキツヒメの別名だろうか。
とりあえず海岸鎮護にまつわる願い事のほか、神社にお参りの際に毎回願う事としているテンプレ的願掛けして退き。国道にもどってしばらく北上。蘇民将来伝説ゆかりの松下社、皇大神宮摂社「江神社」、同「神前神社」(+御同座二社)をまわる。
途中、電柱広告に散見される赤福の文字に、いかにも「伊勢に来てるんだな〜」と感じながら各社を歴訪。江神社の場所については通りかかりのおじいさんに道たずね、参道にて迂闊にもころぶ。神前神社については山にのぼる道をさがし無駄足をかさね、浜辺と山のあいだをウロウロすること30分以上。まさかペット火葬場の奥に参道があるとは思わなんだ。
(平成某年某月某日識)