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三重史跡記(一)

三重史跡 H19.05.21

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三重史跡 H19.05.22

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三重史跡 H19.05.23

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三重史跡 H19.05.24

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三重史跡 H19.05.25

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三重史跡 H19.05.26

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三重史跡 H19.05.21(四)


伊勢市朝熊町→御薗町新開

 鏡宮神社からは一部来た道をもどり北上。そのさい加努弥神社を再度さがすも結果は先記のとおりで発見できず。鹿海町の集落をぬけて数十分間ただ移動する。途中「野口みずき金メダルロード」なる道をとおり、人目のないところではコッソリと駆け足。しばらくして二軒茶屋「川の駅」に到着する。

明治天皇巡幸の碑

 ここ二軒茶屋の川の駅には明治五年(1872年)における明治天皇の御上陸を記念して、明治天皇巡幸の碑[左写真]がたっている。すぐそばには地名の由来にもなった二軒の茶屋の一軒「二軒茶屋餅角屋本店」がいまも営業をつづけ、私はその側でおそい昼食(さきに二見で買った赤福)をとる。
 今さらながら「二軒茶屋餅で小腹をみたしてもよかったかな」とは思うけど、赤福は赤福でうまかった。餅菓子最強。

 ついで移動中、道路から何となく見えた神社「久志本社」というにたちより境内を散策。とくに由緒書きらしきものも見えなかったので参拝後アッサリと退散し、河崎「川の駅」をへて、船江上社という大きめの神社と鎮座地をせっする豊受大神宮摂社 河原淵神社に到着。

 以下、幕末期の神道家兼国学者の御巫清直邸跡(結局場所はみつけられず)、豊受大神宮摂社 御食神社、豊受大神宮摂社 河原神社をめぐってこの日はようようタイムアップ。

 んで、下はそのうち四社の写真群。明日(22日)は奥伊勢方面へむかうことにする。

河原淵神社 ■1.伊勢市船江
 河原淵神社、祭神は澤姫命(さわひめのみこと)。社殿前の朧ヶ池は宮川分流の名残とのこと。社名、神名ともに由来明瞭。
 中世、社殿地を失し、近世の復興をへて明治期に同地へと遷座。船江上社とは隣りあう。
船江上社 ■2.伊勢市船江
 船江上社、祭神は澤姫命・天牟羅雲命(あめのむらくものみこと)・八幡大神(やはたのおおかみ)など。
 殿地を失した河原淵神社にかわり、当地域の産土神をまつるため創建された神社。河原淵神社の故地として大正二年(1913年)に澤姫命を合祀し、現在にいたる。境内には他おおくの末社をもかかえている。
御食神社 ■3.伊勢市神社港
 御食神社、祭神は水戸御饗都神(みなとのみけつかみ)。JR東海のパンフレットによると「倭姫命に御水を奉った老人の霊を御食津神として祀る」とのこと。
 神名からすれば、水の出入口に鎮座する食物の神様、といったところだろうが、近くにあった立看板によると火除けの神として信仰もされている模様。
河原神社 ■4.伊勢市御薗町新開
 河原神社、祭神は川神(かわのかみ)。豊受大神宮の末社として毛理神社・木神(きのかみ)を同座する。
 当社は宮川下流の守り神とされるも、ここから宮川まで、直線距離でも約1km以上。河原淵神社どうよう殿地不明期をへているとはいえ、分流すら残らないのは社名からしてチト寂しい。

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(平成某年某月某日識)

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