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福井史跡記(一)

福井史跡 H18.06.12

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福井史跡 H18.06.13

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福井史跡 H18.06.14

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福井史跡 H18.06.15

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史跡廻国記

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私事

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福井史跡 H18.06.13(四)


福井市左内町→福井市毛矢

橋本左内家墓所

長谷部甚平に贈るの書碑

 左内公園はその名のとおり橋本左内ゆかりの公園。江戸で刑死した左内が、文久三年(1863年)に福井へ改葬されたさい、その再葬地となった場所[左写真上段]。当時から同所は橋本家の墓地にあたり、左内はいまも父母らとならんで永の眠りについている。

 公園にはこのほか長谷部甚平に贈るの書碑[左写真下段]、啓発録の碑など、数基の碑のほか、橋本左内先生像、松尾芭蕉宿泊地跡(等栽宅跡)などの史跡がのこる。例年、命日(10月7日)には墓前祭もひらかれる由で、「この公園。自分がもし子供だったら『お化けが云々』と墓をネタにしてしまいそうな気がする」とか不謹慎にも思った。

 「変なネタにされないよう、人物に対する周知事業ってのはやっぱ大切だよね」と勝手に結論をつけて公園をあとにし、今度はさきほど素通りした橘曙覧記念文学館へもどる。訪館時はちょうど「曙覧と旅」というテーマで特別展が開催中だった。

 曙覧が伊勢・美濃・尾張・京都方面を旅行したさいに記した日記『榊の薫』を下敷きにしたテーマ展示で、初心者にもわかりやすい平易な説明が好印象。曙覧について知識薄弱な私には、たいへん助かる内容だった。

黄金舎跡

 帰りがけに、入口の売店で曙覧の歌集『独楽吟』(訓は「ひとりたのしめるうた」)を購入し、足羽山をさらに登る。なお橘曙覧記念文学館の立地[右写真]は、かつての橘曙覧居宅黄金舎の跡にあたる。

 途中、福井城の模型や松岡屋吉兵衛(足羽山の参道整備をした城下の豪商)の石像福井のある市立郷土歴史博物館跡地(宝来町へ移転するまえは、ここ足羽山にあった)をへて、足羽神社に到着。

 同社は式内社にあたり、祭神は昨日たずねた三国神社どうよう継体天皇をもって主とする。当地方の中心的な神社としてながく地域の尊崇を集めたゆえもあって、境内には多くの記念碑が散見される。

 継体天皇について若干説明すると、第十五代応神天皇五世の孫にあたる第二十六代目の天皇。『日本書紀』による生没年は西暦450年〜531年、在位507年〜531年。はじめ近江国にうまれ、父彦主人王(ひこうしのおおきみ)の死没後、母方振媛(ふりひめ、第十一代垂仁天皇七世の孫)の故郷、越前国坂井郡にて成長する。

 第二十五代武烈天皇崩御後、その後嗣として大伴金村・物部麁鹿火ら朝廷の諸臣にまねかれ、河内国は樟葉にて即位。天皇二十年目に大和国へはいり、磐余玉穂(いわれたまほ)に都をさだめ、翌年には九州筑紫国にて勃発した国造磐井氏の乱(磐井の乱)を物部麁鹿火らを派遣して平定する。

西南の役殉難碑

 継体天皇の治世前後は、前代からの皇位継承にともなう諸問題や磐井の乱、朝鮮半島における日本勢力の後退など、内憂外患の観がつよく、後代についても安閑・宣下朝と欽明朝との対立をうんだとする説など、多くの疑問や問題をはらんでおり、これらをながい間隔でみた場合、武烈天皇崩御以来の混乱期は、欽明天皇ないし敏達天皇の御代にまでしばらく続くことになる。

 「そもそも古代史は史料が少ないから、勢い仮説ばかりが目立っちゃうよな〜。結論もでないし」とミもフタもないことを考えながら坂をのぼり、道のわきわきにみえる石碑をチェックしながら護国神社から福井市自然史博物館方面へ移動。

藤島神社

 このあいだ、主なものだけでも吉田東篁碑・伴閑山碑・西南の役殉難碑[左上写真]・天魔ヶ池(北ノ庄城攻略戦秀吉本陣跡)・継体天皇の石像などなど、いくつかの史碑をまわり、最後には山をくだる途中の藤島神社(主祭神は新田義貞、建武中興十五社の一つ)に詣でて足羽山をはなれる。

 ちなみに建武中興十五社というのは、奈良県の吉野神宮(主祭神:後醍醐天皇)、神奈川県の鎌倉宮(護良親王)、静岡県の井伊谷宮(宗良親王)、熊本県の八代宮(懐良親王)と菊池神社(菊池武時・同武重・同武光)、福井県の金崎宮(尊良親王・恆良親王)と藤島神社、福島県の霊山神社(北畠顯家・同親房・同顯信・同守親)、千葉県の小御門神社(藤原師賢)、兵庫県の湊川神社(楠木正成)、鳥取県の名和神社(名和長年)、大阪府の阿部野神社(北畠親房・同顯家)と四條畷神社(楠木正行)、三重県の結城神社(結城宗廣)と北畠神社(北畠顯能・同親房・同顯家)のことで、それぞれ建武の中興(建武の新政)ゆかりの功臣たちをまつっている。

 福井県は十五社のうち二社をその県内におくが、それは当時越前国がいかに激戦地だったかをしめす一つの証左だろう。その激戦地となった原因については、私自身史料にあたってもいないので碓たることも言えないが、参詣したときは漠然と「足利氏の有力一門斯波氏の存在や入り交じる仏教諸勢力の存在が原因かね」と思った。

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(平成某年某月某日識)

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