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福井史跡記(一)

福井史跡 H18.06.12

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福井史跡 H18.06.13

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福井史跡 H18.06.14

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福井史跡 H18.06.15

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史跡廻国記

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福井史跡 H18.06.12(二)


坂井市三国町三国東七丁目→坂井市三国町瀧谷一丁目

 三国神社駅から南西へ約5分、三国神社(主祭神は大山咋命と継体天皇)の鳥居まえに到着。平日、しかも近くには小学校のあるせいか、集団登校まえと見られる小学生の一団を発見。ファインダーに入れないよう気を使いながら(だって嫌っしょ、知らない人に写真撮られるのって)、神社境内へすすむ。

三国神社随身門 ■1.坂井市三国町山王六丁目
 写真は三国神社の随身門。
 来年(平成一九年)は継体天皇の即位から1500年周年にあたるのだそうで、門の中央にはその旨の看板が掲げられている。
 ちなみに看板うえの扁額は「光華閣」と題する松平茂昭(松平春嶽養子、第十五代福井藩主)の撰文額で、門自体の着工は元治元年(1864年)に始める。幕末期に由来ある楼門だ。
木立神社 ■2.坂井市三国町山王六丁目
 木立神社を鳥居方面よりのぞむ。
 同社は三国神社の境内末社で、主祭神は松平春嶽。本殿の由緒記によると日清・日露戦争以後、さきの大戦までに散華した三国町出身者千四百余名をも合祀しているらしい。
 とりあえず、日本国と旧福井藩領の安寧とを祈ってみた。

 上記のほかに境内をいろいろ散策後、福井藩の吹屋跡へ橋をわたって一端移動。現在は公園になっている同所を撮影し、ふたたび来た道をもどる。

 つづいては「三国歴史街道」とよばれる旧三国町内のおもむきある街並へ。下はその内のいくつかの写真。

斯文館跡 ■1.坂井市三国町山王
 初名「斯文館」、後名「思誠館」のあと。
 説明板によると三国湊の豪商たちによって文久二年(1862年)に設けられた私塾。三日と八日を定日とし、瀧谷寺の住職道雅や医師多賀谷家が教鞭をとっていた由。
 「教授した学問って、主にどんな科目だったんだろう」とか思う。
龍翔小学校遺構門 ■2.坂井市三国町南本町
 福井県のお雇い外国人ジョージ・アーノルド・エッセル(オランダ人土木工師)が建築設計した龍翔小学校の校門遺構。現在は三国南小学校の南門にあたる。
 建設当時、わざわざ建物を見に、井上馨が三国を訪れたというその遺構は三国町郷土資料館として現在見ることができる。ただし、当時のものとしていま残るのはこの門だけとのこと。
三国大野屋跡 ■3.坂井市三国町南本町
 幕末維新期に越前国土井家大野藩が、全国に藩の特産物などを売るためにもうけた藩店大野屋の三国湊支店跡。
 説明板によると、この建物は三国独特の「カグラ建て」とよばれる建築らしい。
内田本家跡 ■4.坂井市三国町南本町
 元禄以来、三国湊で代々廻船業をいとなんだ豪商内田家の本家跡。
 同家は「惣右衛門」を代々の襲名としており、幕末期の惣右衛門は薩摩藩と福井藩の貿易にも若干の関わりをもっている。
三国湊川口御番所跡 ■5.坂井市三国町神明
 福井藩が三国湊の出入りする品々を監視し、口銭などを徴収するためにもうけた番所跡。正保元年(1644年)に設置され、文久元年(1861年)に川端へ移転。
 なお写真左奥に見えるのが、右記の思案橋である。
思案橋 ■6.坂井市三国町神明
 左にも記した思案橋。丸岡藩と福井藩の藩境にあたり、当時は遊郭街の入口にもあたっていた。橋のむこうへ「行こうか、行くまいか」思案にくれた橋との意による命名。
 「どこにでも似たような謂われの橋はあるもんだ」とか思う。

 んで、思案橋を思案することもなくわたり、三国町神明地区をぬけて次は三国町瀧谷地区瀧谷寺へ移動。

 真言宗智山派摩尼宝山瀧谷寺は、堀江氏・朝倉氏・柴田氏・福井松平氏・丸岡有馬氏など、越前国の有力者たちに長く庇護された名刹。
 拝観料を支払いもらったパンフレットによると、本尊は薬師如来で、開山は紀州根来寺の学頭睿憲、寺宝には国宝金銅毛彫宝相華文磬などがある模様。したはそんな瀧谷寺境内で撮った写真群。

瀧谷寺総門 ■1.坂井市三国町瀧谷一丁目
 瀧谷寺の総門。三国湊の斯文館で町衆たちの教師役をつとめた同寺住職道雅が、吉田東篁、梅田雲浜、梁川星巌など、時の名士らと時勢を議しては別離を見送ったというエピソードの場所。
 ここから右写真の参道へとつづく。
瀧谷寺参道 ■2.坂井市三国町瀧谷一丁目
 瀧谷寺の総門から山門へとつづく参道。木々のトンネルが何とも味わい深く、史跡とかいう点を別にしても些か感動す。
瀧谷寺庭園 ■3.坂井市三国町瀧谷一丁目
 国指定名勝にもかぞえられる瀧谷寺の庭園。同寺にかぎった話ではないが、寺の庭園となると京都の天龍寺のように遊歩道でも大規模に整備されていないと、観賞できる範囲が限定されてしまって、その規模がわかりづらい。
瀧谷寺龍泉庭 ■4.坂井市三国町瀧谷一丁目
 「龍泉庭」の庭池を撮影。日のさしこみ具合と池に映る木々が印象的ゆえ、なんとなく撮影してみた。出来れば高解像度でお見せしたいところ(容量が大きくなるのでパス)。

 途中、宝物殿において寺宝を拝観。神仏習合の影響と見られる絵画(垂迹美術なのかは知らない)や、真言宗お得意の曼荼羅などをながめながら2〜3考えこと。
 あと、これら仏教とは関係のない寺宝として勝海舟の書も展示されていた。予期せぬ出会いに、まずは僥倖。

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(平成某年某月某日識)

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