史跡廻国記
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大阪史跡記(一)
兵庫史跡記(一)
さきのページでも若干ふれたが後鳥羽院離宮水無瀬殿の跡にたつというのがこの水無瀬神宮。写真はその拝殿で後鳥羽院・土御門院・順徳院の悲運三天皇を祭神とする。連歌作品の至高ともたたえられる『水無瀬三吟』の詠歌としても著名。
同社は仁治元年(1240年)ごろ、前年に崩御された後鳥羽院より廻向を遺勅されていた水無瀬(藤原)親成による建立。はじめ「法華堂」のち「(水無瀬)御影堂」とよばれ、明治まで仏式による祭祀がいとなまれた。ちなみに「水無瀬神宮」という社名は明応三年(1494年)に後鳥羽院の御霊を隠岐より勧請したさいに奏されたもので、「御影堂」とは伝藤原信実画「後鳥羽院像」の御影によった呼称かと思われる。
明治六年(1873年)、維新の改革にともない正式に名称・祭祀法を神式にあらため、土御門院・順徳院といった後鳥羽院御子両天皇を合祀。旧社格は官幣中社から昭和十四年(1939年)大社へとのぼった。
本殿は寛永年間に御所内侍所(天照大御神の御霊代である神鏡をまつる場所)の用材をもちい建築されたもので、境内には後水尾天皇下賜「燈心亭」(茶室)、伝福島正則造営の客殿、伝石川五右衛門手形などがのこる。
余談だが入口ちかくには大阪府で唯一「名水百選」にもえらばれた離宮の水があり、訪問時もまさに"ひっきりなし"と形容できるくらい水汲み人がおとずれていた。
なお、これはあとになってに知ったことだが、旧摂津国として名水百選にえらばれている場所は同地をふくめ計三ヶ所。「快水浴場百選」としては〇ヶ所。さらに「平成の名水百選」(PDF)としてもまた〇ヶ所である。
かつて港津の国として知られた摂津国としては、なんとも寂しいこの結果。環境維持って大変だなぁ。
(平成某年某月某日識/平成二二年一月二四日訂)