関連本など
雑感・感想
平成二二年(2011年)の大河ドラマ「龍馬伝」の影響もあり、おりから注目度の高まっていた岩崎弥太郎伝記本のミネルヴァ日本評伝選版。著者の武田晴人氏は経済学畑の方で、本書と話題のちかい著作には『日本経済の事件簿 開国から石油危機まで』・『財閥の時代 日本型企業の源流をさぐる』などがあります。
本書は、ともすれば他の伝記に三菱側へかたよった資料上の視座・制限がみられがちのなか、近年の関連研究も参照し、明治政府の方針や当時日本の経済規模や諸環境、競業他社(帝国郵便蒸気船会社・パシフィックメイル社・P&O汽船会社・共同運輸)の内状にも目をくばった視野のひろい内容になっています。
巻頭の「はじめに」で新たに付け加える所は必ずしも多くはないが、[中略]新しい資料の公開もあり、また、三菱史料館の史料公開と研究活動が近年蓄積されてきているから、これまでの伝記にない側面も描けるのではないかと考えている
と言及しているように、本書は先行伝記を多く活用に供し、こまかな点ですが該当先のページまでしるす参照注記は、本書の先行伝記にたいする総論的な性質からみても便利です。
記述上、本書前半の特徴としては、弥太郎の個性・性格をしめす挿話が編年のおりおり多く配されており、平成二二年(2005年)に刊行された『美福院手記纂要』(弥太郎の母美和の手記)とあわせ、起伏ある弥太郎像が提示されています。
ついで三菱の経営が「政商」としてうごきはじめる台湾出兵以降(本書後半)の記述では、弥太郎個人への脚光が相対的にへる一方、近年の論文・研究蓄積を参照した論述に移行し、面目は「弥太郎伝」というより「三菱伝」といった様相をていします。もちろん同様の傾向は他の伝記中にもいくつか観られうるところですが、本書は視座がこれまでよりマクロ寄りなこともあって、弥太郎の影が稀釈されている印象を私的には強めにうけました。この点は紙数の都合から両全するのはむずかしいので、論点の強弱とわりきってしまうのが穏当でしょう。
ほかに興味深かった点としては、弥太郎・三菱に関する真偽不明の「伝説」について、可能であれば出典と思われるものを紹介しつつ、現在の見方や氏の解釈がしめされており、文久二年の大阪行だとか、『三菱合資会社社誌』の誤りだとか、共同運輸の競争についてだとか、好事家的にも学術的にもおもしろくよめるものが多かったです。
総じて前半と後半に雰囲気や視座の広狭に違いも感じられますが、弥太郎伝の入口としても、近代黎明期の日本海運事情を概略的につかむという意味でも、ひろくオススメできる一書かと思います。
ミネルヴァ書房:二〇一一年三月一〇日:2,400円(税抜)
(平成ニ三年六月二五日識)