関連本など
雑感・感想
書名だけを初見したさい「まさか『閑愁録』をもって龍馬を仏教徒として論じてる本なんじゃないだろうな?」と思い手にとったのですが、うえの概要を一読いただければお解りのように、案の定その通りでした。
『閑愁録』とは慶応三丁卯初秋
(慶応三年-1867年-七月)、キリスト教(本文では耶蘇教)信仰の拡大を危険視した海援隊文司
こと長岡謙吉によって、その対手となりうる仏教僧らにむけ著された警世書。坂本龍馬や海援隊についてそれなりに知っている人であれば、知名度・認知度はともかくとして、おそらく書名くらいは目にしているであろう本です。出版物としては平尾道雄『坂本龍馬 海援隊始末記』[1] をはじめ、現在では京都大学電子図書館サイトからも本文の閲覧ができます。
ここで取りあげている『仏教徒 坂本龍馬』の著者長松清潤(日蓮を宗祖とする本門佛立宗横浜妙深寺および京都長松寺にて住職を務められている由)氏は、いまも龍馬自身の見解としてあつかわれることのある伝長岡筆「船中八策」や『藩論』 [2] を例にあげ、くだん『閑愁録』もそれと同様にあつかい、如何に仏教にたいし龍馬が期待・共感を抱いていたか説きつつ、現代における仏教の必要性をあわせ鼓吹しているのですが、本書には龍馬を仏教の理解者として取りあつかいたいがため、我田引水・恣意的ともみえる解釈・説明が散見されます。
さきにも若干ふれましたが『閑愁録』にみえる長岡の主張とは要約すると、ときのキリスト教蔓延が日本の国体にあたえる影響を危惧し、仏教僧らにその教義をもってキリスト教徒らへ教化・改宗を促すよう求めたものです。長松氏はこの論説を龍馬が仏教の教えに親近や共感をしめしたものと受けとり、その龍馬が暗殺されるや明治維新は復古神道(端的には平田派の神道学)に感化された狂信者
(『仏教徒 坂本龍馬』)らの手によってねじ曲げられ、仏教もまた廃仏毀釈の憂き目にあい、その精神的な誤謬・あやまりは悲惨な敗戦をうむにいたった旨を説いて本書はやみません。また同氏は龍馬の仏教徒的な側面について、キリスト教に親近した彼の縁者や自由民権運動家たち、龍馬を皇国の軍神として祭り上げたい人々、現代における龍馬像と仏教にたいするイメージとがそぐわないことによる意識的・無意識的な回避によって、いままで見落とされてきたものと述べます。
これらの主張について、まづ明治維新から敗戦までを一直線に捉えること自体に私は違和感を抱きますし、『閑愁録』の書かれた時期 [3] やキリスト教の対手として仏教のあげられた動機や目的を考えてみると、仏法ハ国家ヲ保護スル大威力ヲ具足セル大活法
だとか仏法ノ我邦ニ入リシヨリ茲二千年、皇化ヲ保護シ今日ニ到ル。其功勲、爀爀見ルベシ
だかという称揚も額面どおり受ける気にはなれません。のちの話しになりますが、明治新政府も始めキリスト教を禁圧する方針から教徒への改宗をせまり、説得役には初め神官、のち僧侶をくわえこれにあたり、結局は失敗に帰します。効力ありとみればその力を頼んだり利用すること自体、そもそも共感の有無とは関係がありません。
一方、龍馬の仏教観(というか宗教観)を知るものとして大変示唆にとむ談話としては、佐々木高行の伝える[龍馬が]又言うには『此度薩長と共にせる計画が失敗に帰したるならば、耶蘇教を以て人心を煽動し、其ドサクサまぎれに幕府を倒して終う』と、自分[佐々木]は之に大に反対を表した。[中略]一体才谷[龍馬の変名]は策略家で、耶蘇を採用するというのも、ツマリは已むを得ざる窮策なのである。であるから耶蘇の代りに仏教を以てしようとも言うた。自分は才谷の様に変通が出来ぬので、どこ迄も神儒を以てする事を主張した[中略]こういう風に其方法に就ては互いに各方面から絶えず研究したのだ
[4] という挿話がまづ浮かびます。この話しだけでも宗教に怖いくらいドライな龍馬の一面が端的にみてとれることでしょう。
ところがくだん佐々木談話を長松氏がひくと、佐々木は「国体」についてを論じた。佐々木の見解は『神道を基礎とし儒道を輔翼とし』(『完本坂本龍馬日記』)というものだった。[中略]しかし、龍馬はこれを了解していない、むしろ話をはぐらかして合意しない。[中略]意見には賛意を示さず、むしろ『仏教を以てしやう』と言った。これが、佐々木の記憶に残った。佐々木が国体を論じて神道を用いようという提案に、龍馬は最後まで同意しなかったのだ
[5] ということになってきます。
つまり佐々木談話の原文では、煽動対象を耶蘇の代りに仏教
にしようと龍馬が一案・代案の一つとしていっているのに対し、『仏教徒 坂本龍馬』ではこれがズレて、神襦の代わりに仏教を以て国体にしようと龍馬がいった旨の文章になっているわけです。これが長松氏による意図的な改変なのか、単なる誤読に発するものかは解りませんが、仏教の理解者かどうかを論ずるうえでこの点は些か致命的ともいえる過誤でしょう。
総じて本書は『閑愁録』にみえる長岡の主張を海援隊の看板から直接龍馬のものとして受け取り、且つそれを動機や背景など斟酌せず字面通りに主張する点など、やや論証に性急さが目立ちます。宗教上恣意的ともみえる記述が諸処 [6] にみられ、歴史本や龍馬本としては正直他人にオススメする気にはなりません。やや繰り返しになりますが、本書は龍馬が自由民権運動や日露戦争、果ては戦後において、それぞれの支持者らにとって都合の良い像だけが強調されすぎるあまり、仏教徒としての一面が今までのあいだ見落とされてきたと説きます。都合の良い像を強調されすぎたという批判は、まま本書にも跳ね返るあたり、皮肉といえば皮肉でしょうか。
講談社:二〇一二年八月一日:1,800円(税抜)
(平成ニ四年八月二三日識)