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雑感・感想
本書は書名や帯にも書かれているとおり、現在「船中八策」と称される坂本龍馬の新国家構想が後世に作為されたフィクションであることと、龍馬伝を世に出した嚆矢『汗血千里の駒』の著者坂崎紫瀾が著した土佐勤王党に関わる一連の著作、および瑞山会によってまとめらた『坂本龍馬傳艸稿』を素材に、偶像としての「坂本龍馬」誕生(というよりもその描かれ方)を論じている。
まず本書の白眉は「船中八策」の初出から呼称の変遷、内容・字句の揺れにまで目をくばり、これを史料としてあつかう危うさを実証的な作業 [1] で浮き彫りにした第一章にある。これまでも「船中八策」については菊地明氏・桐野作人氏・松浦玲氏らが、成立時期や文章としての実在性、「新政府綱領八策」との関係について何度か発言をしており、史料として扱うにはたぶんに灰色な存在だと一部の知る人には認識されていたが、本書の登場をもって史料としてはもう「黒色」としても差し支えないレベルかと判断する。少なくとも今後なにか新たな史料でも出てこない限り、危なっかしくてとても利用できる文章ではないだろう。そういう意味で帯の龍馬研究に画期をなす
という煽りも、ただの宣伝誇張とはいえない。
第二章は坂崎紫瀾の略伝と彼が筆をとった著作のうち、知野氏が「土佐勤王党三部作」と位置づける『南の海 血しほの曙』・『汗血千里の駒』・『南山星旗之魁』について、政治小説 [2] という視点からその意図や作為を穿たんとし、ラスト第三章では、公刊こそされていないものの坂本龍馬伝としてもっとも古いと目されている瑞山会編纂『坂本龍馬傳』、該書の諸本に位置づけれる『坂本龍馬傳艸稿』(一部ではあるが本書が初の翻刻になる)を戸口に第二章同様、その編纂の意図や作為をはからんとする。
全体的な印象として本書は、あとがきに龍馬に対する『希望』や龍馬を利用した『意義申し立て』といった後世の夾雑物を取り除き、龍馬を正しく歴史学の中で評価するための基礎作業として、史実としての龍馬の思想、行動を再現することを意図したもの
と記されるだけあって、龍馬に好意的な解釈や通説を再検討ないし混ぜっ返す方に論述が基本指向されている。なかには推論から憶断におよんでいる論もあるため、帯に書かれているような歴史エンタテイメント
としては些か神経を使う。
あとがきによると著者の知野氏は"大"がつくくらいの龍馬好きであるらしく、その記すところに誇張がなければ「坂本龍馬」によって人生を狂わされたといっても過言ではないほどに、これまで影響・感化をうけてきたようである。そんな一方で本書は「人間は自分が信じたいと望むことを喜んで信じる」という慣用句に反して論述姿勢・推論の帰着点とも、ドライをとおりこして無駄にネガティヴにさえみえてくる箇所が多い。その辺は一往ご本人も意識しているのか、あとがきには本書は龍馬ファンからすると看過できない論旨が並んだはずだ。「船中八策」はなかった、[薩長盟約締結のさい]龍馬は西郷を一喝しなかった、龍馬は新政府に入る積りだった。等々。龍馬ファンの一番琴線に触れるエピソードばかりだ。[中略]人にこんな話をすると必ず言われるのが「本当にお前は龍馬が好きなのか」という一言だ
とみえている。しかしこの場合、氏に向けられる本当にお前は龍馬が好きなのか
という言葉は、史実と虚構の別を指摘するという点にではなく、論述や結論にかかわる思考的なながれに向けられているような気がしないでもない。とりあえず敢えて公言でもしてもらわない限り、著者が龍馬好きとは解らない書き振りなことは確かである。この点を不偏と観るかどうかは、個々の読み手に判断が委ねられるところだろう。
とまれかくまれ、史料批判および資料の探求には賛すべき・敬服すべき点が多い一冊。
人文書院:二〇一三年二月一五日:2,600円(税抜)
(平成ニ五年三月九日識)