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贈歌篇


短歌・狂句・雑謡・付合・漢詩・昭憲皇后御瑞夢顕彰歌

短歌

家の風 吹き起すべき 武士の 名は雲井にも 龍の夢とや

坂本幸

 『反魂香』にみえるもので龍馬の生誕にちなみ此子は必ず家の名を揚るに違ひ無いと詠んだ歌。内容が内容だけに、実際によまれた歌なのか真偽のほどは微妙である。仮に真作とすれば、龍馬の生誕にまつわる瑞夢も事実ということになるだろう。

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ともだちと 霞と共にたちそめて 日を綴るままに のどけかるらむ

某祖母

 龍馬が土木工事の監督をつとめたさい、その人使いの妙を讃えた某に、その祖母が贈ったという歌。直接、龍馬自身に贈られた歌ではないが一応紹介しておく。

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あらし山 花に心のとまるとも 馴しミ国の 春なわすれそ

八本こ

 「平井家文書」におさめられる龍馬の書き付けかたわらに、布で縫い付けられている歌。「八木こ」なる人物は未詳ながら、調査にあたった宮地佐一郎氏は平井加尾本人と推定。歌意は「嵐山の花に心がとまったとしても、馴れし御国(土佐)の春を忘れないでください」とのこと。

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思ひきや 宇治の河瀬の 末つひに 君と伏見の 月を見むとは
薄墨の 雲と見るまに 筆の山 門司の浦わに そそぐ夕立
武士の かばねはここに 桜山 花は散れども 名こそ止むれ

楢崎龍

 龍馬の妻である楢崎龍の歌。上段が伏見寺田屋で龍馬が襲撃をうけたさい、その療養中に詠んだ歌。中段は慶応三年に下関は伊藤家での歌会で詠んだ歌。「これはうたでしょうか」と笑いながら差し出すと、みんな「うまい、うまい」と手をうって褒めてくれたという挿話がある。下段は『続反魂香』にみえる歌で、龍馬を偲んで詠んだものだろう。

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かくすれば 斯くなるものと 知りながら 止むにやまれぬ 日本たましひ

高杉晋作

 高杉晋作が薩長盟約成立後、龍馬との酒席で詠じたという歌。元歌の作者は吉田松陰で、高輪泉岳寺にねむる赤穂浪士を思い詠んだ歌である。

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坂本龍馬ぬし横死せられたると聞きて

たづぬべき 人もあらしの はげしくて ちる花のみぞ おどろかれぬる

服部武雄

 近江屋における龍馬遭難を悼んだものとされる服部武雄の詠歌。両者の交流については詳しい資料もないのでなんともいえないが、龍馬の志士としての知名度ゆえに詠まれたものだろうか。

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益荒男の 七世をかけて 誓ひてし ことばたがはじ 大君のため

藤堂平助

 結果的に藤堂平助の絶筆となった歌。詠作時期や前掲服部武雄歌の詞書を考慮すると、これも龍馬や中岡慎太郎を想起しよまれた歌だろうか。四句の詞遣いから推してイマイチ首肯しかねる見方ではあるが……。

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世を思ひ 身を思ひても 誓ひてし 人のうせぬる ことそ悲しき
武士の そのたましひや たまちはふ 神となりても 国を守るらむ
君かため よのため思ひ 嘆くには 悲しといふも 悲しかりけり

三条実美

 龍馬・中岡慎太郎横死の報が慶応三年一二月三日に太宰府へ届くと、太宰府では五日にはやくも神式で両雄の霊魂をまつっている。そのさい三条実美が下した詠歌が上の三首である。

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土佐の海の 浪しづけきや 此頃は たえてたよりも 長崎のうら
君がため こぼれる月の 影くらく なみだは雨と ふりしきりつつ

佐々木高行

 うえは土佐へライフル銃を運び旅立った龍馬や岡内俊太郎らの音信を待ちわびて詠んだ歌で、したは龍馬暗殺の凶報が長崎にもたらされたのちの慶応三年一二月一五日夜、龍馬と中岡慎太郎の死を悼み執行された祭典で風雨であって天も心あるらしく思われて詠んだ歌。

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うめの花 みやこの霜に しぼみけり 伏見の霜は 凌ぎしものを
かしこくも 后の宮の おん夢に 入りしは君が 真心にして
ゆめならば 皇后の宮も 見給ひし われは得にけり 水くきのあと

田中光顕

 下段は田中光顕自身が『たむけ草』に記した歌、中段は維新後に龍馬書簡へ題した真贋の極めがわりの歌。上段の「うめの花」は龍馬の変名才谷梅太郎を意味し、「伏見の霜」とは慶応二年の伏見寺田屋襲撃のことを指す。龍馬の死を偲び、田中光顕が墓前に献じた歌と伝えられる。ただし土方久元の話によれば「うめの花〜」の和歌は龍馬自身の作だともいう。

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とこしえに 国守るらん なき魂も 皇后の宮の ゆめに誓ひて

細川潤次郎

 天保のころ、土佐で「三奇童」と称された天才児の一人細川潤次郎作の歌。高知桂浜ちかくの彰勲碑かたわらに歌碑として建立されている。

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水くきの ふかきこころを くみて知る こころ赤間の あかき心を
みづくきは よし絶ゆるとも 大丈夫の たてしこころの 朽ぬ石碑

品川弥二郎

 明治三二年(1899年)、手もとにあった龍馬の書簡(印藤聿あて)に端書きをおこなった品川弥二郎が「感ずることありければ」として記した歌。

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故坂本ぬしにむかし逢ひしとき物語せし一言を書記しつる折り
硯の海に うかふ思ひの かすかすの かきつくせぬは 涙なりけり
いさをなく 我身は今に なからへて 世にも人にも はちさらめやは

由利公正

 明治二二年(1889年)六月、三岡八郎こと由利公正が龍馬を偲び書きとめた歌。

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三十とせと すぎしむかしの くれたけの ふしみのゆめ を神もしのばん

毛利元敏

 明治二九年(1896年)一月二三日付の三吉慎蔵日記にみえる旧長府藩主毛利元敏の歌。慶応二年一月二三日の伏見寺田屋遭難を思い三吉慎蔵に宛て贈られたもので、歌中の神はこの日の祭礼でまつられている龍馬のことを指す。参考:幕末散歩「11月15日 先祖調査 長州・長府 龍馬」

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狂句

上を見な よけて通れよ 檜笠

 龍馬がはじめて江戸へと旅立つ嘉永六年三月。幼少時に素読や手習いを習った師のもとを訪ね、携えた檜笠を示して一句を所望したところ贈れた。千頭清臣の『坂本龍馬』によれば「龍馬が独自の謙徳を備へしものまた之に由る」とある。

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雑謡

お前玄界 わしや中の島 年に一度は逢の島…………ヨイトサ

新宮馬之助

 「続反魂香」にて紹介される新宮馬之助のうたった雑謡。慶応二年、鹿児島へ向かう船中にてのもの。

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西の国からお主の使ひ 風薺々として易水寒し 壮士一たび去って 又帰らず ならにやうごかぬ武士の道

小松帯刀

 お龍が『千里駒後日譚』に伝える小松帯刀の雑謡。龍馬と関係ある歌なのか不明だが、とりあえず掲げる。

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付合

敵地とは 思へど月の 光りかな[高]
名月や 塵一つなき 船の上[坂]
 『土藩坂本龍馬伝』に見える高杉晋作との付け合い。[高]が高杉作の部分で、[坂]が龍馬作の部。ユニオン号船上での作という。

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漢詩

随神大道

兵甲ハ神庫ニ允チ 稲梁ハ屯倉ニ実ツ 我ガ父ト母ニヲ養イ 一意ハ天皇ニ事ウ 皇鋼頼テ以テ立チ 宝祚ハ疆リ有ルコト無シ 大道何ゾ明了ナル 必不虞唐ヲ羨マズ

東湖先生詩録

藤田東湖

 かつて霊山歴史館に勝家から寄贈されていた龍馬遺愛刀の茎に刻まれていた藤田東湖の詩。龍馬の尊王思想が偲ばれる。

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肝胆元ヨリ雄大 奇機自ラ湧出 飛潜誰カ織ル有ラン 偏ニ龍名ニ恥ジズ

武市半平太

 龍馬の脱藩を知った武市半平太が詠んだと伝えられる漢詩。ただ半平太が詩作をはじめたのは幽囚の身になって以後のことなので、作成時期については疑問があると松岡司氏は述べている。私的には『維新土佐勤王史』が伝えるように入獄以後、龍馬らを思い詠んだ作かと愚考する(半平太にはこの詩のほかにも松山深蔵ら同志をよんだ詩がある)。

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時ニ新令下ル

匡時壮略人ノ知ル少ナシ 相遇フテ歓ビオ為シ相対シテ悲シム 酒ノ為ニ衣ヲ典スルハ俗態ニ非ズ 人ニ因ツテ事ヲ成ス豈ニ男児ナランヤ 花柳依稀タリ京国ノ夢 風涛浙瀝タリ虜船ノ旗 繁華銷歇ス眼前ノ事 唱フルヲ休メヨ江門新竹枝

間崎哲馬

 脱藩後、江戸で土佐勤王党の同志間崎哲馬・門田為之助・上田楠次らと会飲したさい、間崎哲馬が詠んだ漢詩。ちなみに「新令」とは、幕府が参勤交代などの諸政策を改めたことを指していう。

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織者ハ航海ヲ謀リ 義人ハマサニ邦ヲ鎖サントス コレヲ思イマタコレヲ思ウ 我ガ眼タチマチ尨々

丙寅春孟正月、土藩龍馬坂下君、将ニ吾国ヲ発シ上国ニ至ラントス、書於余二求ム、素ヨリ拙ナルノ筆墨、然ルニ友義負ヒ難シ、乃チ二十字ヲ録シ塞ギ責メ云フ、辱知生澗拝草。

高杉晋作

 龍馬が薩長同盟の成否確認のため上京するさい、高杉晋作から贈られた漢詩。龍馬を織者、高杉を義人になぞらえている。

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堂々威武払姦邪[堂々姦邪の威武を払い]仰見竭来新徳華[仰見、竭来、新徳の華]又有余恩到我輩[又恩余り有って我輩に到る]一杯酒邨一瓶花[一杯の酒、一邨の瓶花]

丙寅十有二月、奉詩坂本溝淵両賢台。酒間乗興書旧作、大酔脱腕自不知筆所走、下婢阿菊亦傍観、是三橋所得意也

岡三橋

 龍馬が溝淵広之丞と長州の書家岡三橋らと会飲した席上、その三橋が自らの旧作を書したという漢詩。

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男児欲誓倒王讐 殊警中途漏遠籌 花柳沈迷学軽薄 一身無頼在楊州

関義臣

 海援隊士山本龍二こと関義臣が酒席で龍馬に披露した漢詩。これを見た龍馬は「面白い面白いと、愛吟してくれた」そうである。

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皇国浮沈之機 我輩死節之秋 上ハ朝廷ヲ憂ヒ 下ノ民苦ヲ察ス 涕涙雨ノ如ク 心事茫々 所思ニ尽ク不ズ

丁卯季冬初八灯火 認於京師之寓舎

中島信行

 中島作太郎が龍馬横死の報を長崎の海援隊士らに伝える書簡中に見える漢詩。中島が「龍の心事、いささか継ぎもうしたく」とした志をうたうか。

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士明ヲ送リタル後一律ヲ作リテ之ヲ呈ス

癸丑一タビ権柄ヲ解キシヨリ 変妖並ビ現ジテ攸徂ヲ驚カス 山ヲ鋳リ海ヲ煮テ経済ヲ謀ル 国ヲ富マシメ兵ヲ強クシテ不虞ニ備フ 万乗天高クシテ忠市ニ斃レ 九重ハ俗乱シテ横途ニ迷ウ 外冦ヲ攘除スルハ晩猶可ナリ 日本刀ヲ堤ゲテ懦夫ヲ揺スル

時ニ坂本中岡等ノ忠誠末ダ叡聞ニ達セズ、奸賊ノ死ト為ス、甲子ノ歳癸乙ノ歳ニ公卿西奔シテ末ダ還ラズ。

河田小龍

 龍馬・中岡慎太郎遭難の報を高知にもたらした海援隊某を見送ったのちにつくったという河田小龍の漢詩。中央の政情に慨嘆の情をのべる。

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日月ハ転丸ノ如ク 追想豈漠然タリ 一龍棺ヲ蓋シタ後 既ニ過グル十五年

坂本龍馬子歿後已十五年、感慨之余リ、拙詩ヲ以テ坂本直兄ニ寄ス。辛巳仲冬。

勝安芳

 龍馬の十五年忌祭にさいし坂本直(高松太郎)に贈られた勝海舟の龍馬追悼詩。

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東走西奔身ヲ顧リミズ 長山薩海往来頻リナリ 奇勲未ダ奏セザルニ奇禍ニ罹ル 遺恨千秋鬼神ヲ泣カシム

土方久元

土方久元が寄せ、顕彰碑に彫された漢詩。この碑は現在、桂浜公園の龍馬像入口に建っているとのこと。

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昭憲皇后御瑞夢顕彰歌

相模の海のなみのうへ 國のしづめの富士みえて 常磐かきはにいやしげる 松の葉山の假宮に 皇后宮のならせられ 寒さ避けます頃とかや 名島の磯にゆきかよふ 千鳥のこえの更け渡る よるの大殿の御座近く 白衣の武士ひれふして いとおごそかに申す様 微臣は坂本龍馬なり 日露の空にたちまよふ 雲足いよいよ急なれど 微臣もちからを海戦に そそぎてまもり候へば 吾海軍のかちいくさ うたがうべくも候はず 御心安くましませと 聞えあぐるやたちまちに 白衣のすがたかききえて 岸にくだくるあだなみの 音ばかりこそのこりけれ 實にも不思議の御瑞夢や 王政復古のそのはじめ 海援隊の長として よのあだ波をしづめたる 坂本龍馬その人は 死して護國の鬼となりて 明治の御代にも仕へけり

御歌所録事

加藤義清

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夫れ魂は冥漠に歸す 忠心義肝の英霊は 永く中有に住まりて 極天后土を護るとかや ここに相模國三浦の郡葉山の里は 東海の沙暖き濱邊にて 畏くも我が皇后の宮陛下には 過ぎし師走の半ばより 寒き都の木枯を 暫くここに避けたまふ 波白妙にほのぼのと 霞む島曲の朝景色 磯の松風颯々の 夕べの調べも御感に入り 御景色晴れさせたまへとも 折しも御國大難あり 國交敗れ民草の 兵馬の役や起らむと 假の宮居の夜殿にも 御夢いとど安からず さる程に如月六日の事とかや 夜も更けわたる階前に 白衣着けたる被髪の武士 御前に向ひひれ伏して 微臣は南海の坂本龍馬と申すにて候 此度露國と戦開かれ候とも 努御心を惱まし給ふべからず 數にもあらぬ 草の葉の薄きこの身に候へども 一念精に凝るときは 山をも砕く例あり 我が海軍は 微臣が必ず守りて候へば 水の上なる御軍は 勝利疑ひ候はず 御心安く覺召され候へかしと 言ふかと見ればおぼろおぼろ 姿は消えて無かりけり 皇后の宮は御夢破れ 不思議の事と思せども 怪神亂鬼を信ずるは 身の恥なりとその儘に心に秘しておはししが 続く七日の夜もまた 同じ夢をぞ御覧じける 門に呼ぶもの三人して 會子が母も走りしといへり いでや憑據を見てむとて 住んじ慶応の三年西の 京にて果てしと聞く 坂本龍馬とやら人の寫像やあるあらば これへと仰せたまふ 宮内の侍臣一ひら寫真を求めて奉る 御手に取らして見たまへば 目鋭く眉蹙り
肉落ち髪おどろにて 王事に身を委す三十年 劔の下に奔馳し 實に憂國の神なれや 二夜の夢にまざまざと 残る勇士のその面影 二重がさねの撫肩に 桔梗の紋の末までも 露違はぬぞ不思議なる 皇后さてはと此の由を 天皇へも奏させたまひしが 日をも時をも過さずして 翌る八日の開戦に 我が海軍に目覚ましき旅順の 奇捷をぞ得たりける あはれ往年波荒き周防の海上に 長の三艦を叱咤して 幕府の艦を襲撃せし 龍馬の霊や今いづこ 忠魂義魄は沈勇の 東郷中将に憑かれるか 不敵の膽は壮烈の 廣瀬中佐に宿りしか 瑞夢のしるし今更に 尊くもまた頼母しき

琵琶歌瑞夢

杉谷代水

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土州奇傑坂龍馬 際會維新風雲忙 慘憺編成海援隊 操縦偏欲防邊疆 當時柳営多俗黨 百方物色逞跳梁 君也不幸斃兇刃 鴨水溶々遺恨長 物換星移卅七載 吾皇赫怒討西羌 水陸連戦奏連捷 神火白鳩呈瑞祥 賢后時駐葉山殿 夢裡武人纒白裳 奏日臣是坂龍馬 魂魄止艦護忠良 賢后夢醒不堪訝 下問龍馬報告膓 侍臣具状献小照 不違行官夢裡装 君不見笠置一夢微楠子 匡濟世道皇猷昌 如今入夢龍馬影 長驅千里我武揚

霊夢行

柏木城谷

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君のため つくす心は 死にてのち なおやまざるや 大和魂

荒木英一

 明治三十七年の日露戦争にさいし、昭憲皇后の夢にあらわれた坂本龍馬を讃えた歌。うらから順に長歌・琵琶歌・漢詩・短歌に配置した。

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(平成某年某月某日識/令和三年一月一〇日更新)

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