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坂本龍馬の目録

人傑篇(坂本龍馬)

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人傑篇(一)


陸奥陽之助 陸奥陽之助

福井藩の家老岡部造酒助をたずね
「今夕参上せしは余の儀ならず、貴君に一人すえ頼もしき少年を託せんが為なり。[中略]少年こそは紀州の浪士、伊達小次郎[陸奥陽之助]と名乗る者、他日必ず天晴れの利器と成り申さん、唯あまりにも才弁を弄して浪士どもに憎まるるより、或いは殺さるるやも知れず。願わくば、しばらくお国許におかれたし」

「商法の事は陸奥に任し之在候得ば、陸奥さえウンと言えば、金の事をともかくも貸すべし」

坂本龍馬

「龍馬の薫陶によって陸奥も彼だけの人物になったと言っても可い位で、平生、龍馬は陸奥を評して『彼は非常な才物である。外の者は大小を取り上げれば殆ど食うにも困る者ばかりだが、陸奥だけは上手に世渡りをして行ける』と言っていた」

関義臣

関義臣

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長岡謙吉 長岡謙吉

長岡謙吉の犬嫌いを評し
「龍馬が『長岡のようなキツイ顔付で犬が恐ろしいとは不思議じゃないか』と笑っておりました」

楢崎龍

楢崎龍

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近藤長次郎 近藤長次郎

「術数有り余って至誠足らず、上杉[近藤長次郎]氏の身を亡ぼす所以なり」

坂本龍馬

「長次さんはまったく一人で罪を引き受けて死んだので『おれが居ったら殺しはせぬじゃった』と、龍馬が残念がっておりました」

楢崎龍

楢崎龍

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池内蔵太 池内蔵太

「この頃は蔵[内蔵太]、一向病気もなく甚だ達者なる事なり。感心なる事は一向うちのことをたずねず、終日談じ候所はただ天下国家の事のみ。実に盛というべし。[中略]蔵は八、九度も戦場に弾丸矢石をかし候えども手傷これなく[中略]普段には、やかましく憎まれ口をばかり言いて憎まれ候えども、戦になると人がよくなりたる様、皆が可愛がるよしにて大笑いたし候ことにて候」

「池蔵はこの頃、八度の戦だんだん軍功もこれあり。この頃、長州にては遊撃軍参謀と申すものになり、その勇気ありて諸軍をはげまし候」

「蔵はこの頃、相変わらず一軍の参謀となり、戦場にも鞭をとり、馬上にて見廻りなど仕り候。事なき時は自ら好む軍艦に乗り組み候て稽古いたし候。勢盛なる事にて候」

「細左馬[池内蔵太]事、かねて海軍の志あり[中略]海軍の事には今は不功者といえども、たびたび戦争いたし候ものなれば、随分あとには頼もしき者とも相成り候べし、楽しみ居り候」

池内蔵太の死を評して
「哀れなるは池内蔵太にて候。九度の戦場に出ていつも人数を引きて戦いしに、一度も弾丸に仕合せよかりしが[中略]船に乗り難に逢い、[中略]五月二日の暁天に死にたり。人間の一生実に猶夢の如しと疑う」

坂本龍馬

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肖像無 新宮馬之助

「龍馬が言いますには『己は前へ立って薮でも岩でもヅンヅン押し分けて道開きをするので、その跡は新宮が鎌や鍬やで綺麗に繕ってくれるのだ』って」

「美男でしたから『君は男ぶりが良いから女が惚れる。僕は男ぶりが悪いが、やっぱり女が惚れる』などと龍馬がてごうて[からかっての意]いました」

楢崎龍

楢崎龍

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肖像無 小曽根英四郎

英四郎が長州で拘束されたさい、その救解を求め
「小曽根なる者は長崎にては長州御屋敷鋪御出入の家なり。また、このごろ乙丑丸の用達を薩より申し付け候。内にて浪士など長崎に出ては、この小曽根を隠れ家と致し候ものもこれ在り、すでに私らも潜み居り候ことに候あいだ、悪心これ無きはこれをもって御察遣わさるべく候」

坂本龍馬

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肖像無 坂本清次郎

「同人[坂本清次郎]もかねて御申越にて、よろしき人物とてよろこび候所、色々話し聞き候ところ、何も思惑の無き人にて、国家の御為、命すてるに苦労はせぬ位なものにて、当時私は諸生五十人ばかりはつれており候えども、皆一稽古も出来候ものにて、共に国家の話しが出来候。清次郎は唯つれて歩く位のことにて、今少し人物なればよろしい、またはまあ少し何か芸でも出来ればよろしいと存じ、このうえ酔狂すれば実に御蔵のニワトリ[役に立たずの意]とやらにてござ候。今一、二年も苦労いたし候えば、少しは役にたち申すべきか。まあ今の所では何も仕様のなき人にてござ候。当時他国に骨おり候人にはなんぼ阿呆と云人でも、お国の並々の人のおよぶ所ではこれなく、先日大坂のおやしきに行て御用人やら小役人にであい候ところ、証判役小頭役とやら云ものの面構え、京都の関白さんの心もちにて、気の毒にあり、可笑しくもあり、元より私は用向と申てはなし、ものも申さず候えども、あまりおかしく候ゆえ、後藤象二郎にも申し候ところ、同人も云には『私はあのような者をつかはねばならぬ、此うるさいことお察してくだされ、お前がたは実にうらやましい』と申し候て笑い申し候。坂本清次郎も右様の化物よりは余程よく候」

「清次郎一人でさえ、この頃の出奔は、よほどはなぐずなれども男であるきに、まあおさまりは付き申すべし。前後お察し遣わさるべく候」

「龍馬が帰るを待てば清次郎は都合よく出してやるものを、つまらぬ出様をした。七月ごろ畑に生えた遅ればの甜瓜やキュウリの如し。あわれむ人少なし」

坂本龍馬

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山本龍二 山本龍二

「私は坂本の旅宿を訪ね久々にて面会し、懐中から意見書を出して示した。[中略]私が脱藩の事情など細やかに話すと龍馬は破顔一笑して『北国の奇男子、徹頭徹尾、我と同意見なり。爾後、我に一臂の力を添えよ』と言った」

関義臣

関義臣

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肖像無 橋本久太夫

「龍馬がたいそう喜んで『お龍よ、橋本の仕事は実に潔い。己の抱える者はみんなこんな者だ』と褒めておりました」

楢崎龍

楢崎龍

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肖像無 黒木小太郎

「千葉重太郎の門人にて真剣勝負の時、平日の稽古と違わず、人これをおどろく」

坂本龍馬

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(平成某年某月某日識)

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