三吉周亮
三吉周亮が長府藩陸軍を率いることを評し
「小弟おもうに三吉大夫が陸軍を治めたまいし時は隊中一同、みな報告の赤心を振起し、大夫の賢なるを感じ居り候よし也」
龍馬の竹島開拓計画に賛同する三吉周亮を評し
「当今、世上の人情、目前の事ばかりでなければ相談はならぬ事ゆえに諸人は竹島行きの事共は、みな無用の事として大夫が遠大の策をには随うまじくか。然ればその事は行われまじく、残念の儀に相察し候」
西郷吉之助
「西郷吉之助、薩州政府第一の人。当時国中にては鬼神と云われる人なり」
「当時[慶応二年]天下の人物と云うは[中略]薩にて[中略]西郷吉之助。これは国内軍事にかかわる事、国家の進退この人に預かる」
「西郷吉之助の家内も吉之助も、大いによい人なればこの方に妻[楢崎龍]などは頼めば、何も気づかいなし。この西郷と言う人は七年の間、島流しにあうた人にて候。[中略]今[慶応二年]は政を預かり、国の進退この人にあらざれば一日もならぬようなりたり」
佐々木三四郎に宛てた戯文調の手紙で
「もしや[龍馬が]戦死をとげ候とも上許両人[西郷吉之助・大久保一翁]の自手にて、ただ一度の香花をたむけくれ候えば、必ず成仏いたし候こと既に決論の処なり。[中略]何は兎もあれ他人は他人にして置き、西郷・[大久保]越中守殿の方へは、必ずや御使者お頼み申し上げ候。これが来らぬと聞けば、小弟に限りなげき死に申しべく候」
「坂本が薩摩[藩邸]から帰って来ていうには『なるほど西郷という奴はわからぬ奴だ。小さく叩けば小さく響き大きく叩けば大きく響く。もしバカなら大ききなバカで利口なら大きな利口だろう』といったが、坂本も中々鑑識のある奴だよ」
勝海舟
小松帯刀
「当時[慶応二年]天下の人物と云うは[中略]薩にて小松帯刀。これは家老にて海軍総大将なり」
「去年[慶応二年]七千八百両で『ヒイヒイ』と困りおりたれば、薩州小松帯刀と申す人が出しくれ、神も仏もあるものにて御座候」
「薩の小松は国家老のみ。然るに国事を談ずるに至っては少しく城府を設く」
勝海舟
「日本第一の人物、勝麟太郎という人に弟子になり日々かねて思い付く所を精といたしおり申し候」
「天下無二の軍学者、勝麟太郎という大先生に門人となり、ことの外かわいがられ候て、まず客ぶんのようなものになり申し候。[中略]達人の見る眼はおそろしきものとや徒然にもこれあり」
「かねて高名なる幕府人物、勝安房守」
「当時[慶応二年]天下の人物と云うは、徳川家には[中略]勝安房守」
「彼[龍馬]が言うには『今日、幕府に於て勝房州を登用されては吾々同志に一の城廓を築くもので、実に由々しき大事である。僕は房州に非常に恩顧を受けて居るから、これを敵とする事は出来ぬ。君らは宜しく注意してその間に策略を施して彼が驥足を伸ばさぬようにしてくれ』と」
佐々木三四郎
大久保一翁
「当時[慶応二年]天下の人物と云うは徳川家には大久保一翁」
佐々木三四郎に宛てた戯文調の手紙のなかで
「もしや戦死をとげ候とも上許両人[西郷吉之助・大久保一翁]の自手にてただ一度の香花をたむけくれ候得ば必ず成仏いたし候こと既に決論の処なり。[中略]何は兎もあれ他人は他人にして置き、西郷・越中守殿の方へは、必ずや御使者お頼み申し上げ候。これが来らぬと聞けば、小弟に限りなげき死に申しべく候」
永井尚志
「彼[永井]玄蕃はヒタ同心にて候」
「薩の小松[帯刀]は国家老のみ。然るに国事を談ずるに至っては少しく城府を設くれども、永井は天下の若年寄なるに洒々落々、赤心を人の腹中に置くの雅量あり。さすがに幕府中の人物なり」
徳川慶喜
「将軍はよほどの憤発にて平常に異なり候事ども多く、油断ならずと申し合い候」
大政奉還の報を聞き
「将軍家の今日の御心中さこそと察し奉る。よくも断じ給えるものかな、よくも断じ給えるものかな。余は誓って此の公の為に一命を捨てん」
松平勘太郎
「この伏見へ捕り手の来りし[寺田屋襲撃]を詮議するに大坂町奉行は松平大隈守と云て、同志の様にたびたび話しなど致し、面会時々したるにこの度は大坂より申し来りとの事、合点がゆかず猶々聞き合すにはたして町奉行は気の毒がり居り候よし」
三条実美
三条実美が天皇を補佐するとの報を評し
「然れば先ず天下の大幸ともいうべきか、可楽々々」
三岡八郎
「当時[慶応二年]天下の人物と云うは[中略]越前にては三岡八郎」
「[龍馬は]『これより天下の事を知る時は会計もっとも大事なり。幸に越前藩三岡八郎は会計に長じ候あいだ、かねて話し合いも致し置き候事こと有之候、その御含みて同人を速やかに御採用肝要』と申したり」
佐々木三四郎
(平成某年某月某日識)