望月清平
「日々、国家天下のため議論いたしまじわり致し候お国の人々は[中略]望月清平。これは随分よきおとこなり」
武藤早馬
「この武藤はかねて江戸に遊びし頃、実に心路安き人なれば[龍馬の志を聞き]誠によろこびくれ候よし。旧友のよしみとはまた忝なきものにて候」
上田宗児
「上田宗虎[宗児]坊主、池内蔵太について大和に行きしが、このごろ長州にて南奇隊参謀になりて[中略]宗虎は敵をば追い払い、その台場をも乗り取り、自身は手を痛めしばかりの事にて、このごろ名高き高名。なかなか花々しき事と皆々うらやましがり申し候」
島浪間
「島与[助]が二男浪間は戦場にて人を斬ること実に高名なりしが故ありて先日、賊にかこまれ(その数、二百ばかりなりしよし)腹切りて死にたり」
吉村三太
「吉村三太と申す者、頭のはげた若衆これあり候」
戸部兼平・大須賀五郎右衛門
龍馬らより聞いた話として
「国中人物なし。[中略][そんな中でも人物は]国にては戸部兼平(全学などする)人物にて入魂のところ、流行[病]にて死す。他に大須賀五郎右衛門このたび京師へ内用もうし付けられ行事あるとぞ」
住谷寅之介
桂小五郎
「当時[慶応元年]長州に人物なしと言えども、桂小五郎なる者あり」
「これは長州の政事を預かり候第一の人物にて」
「当時[慶応二年]天下の人物と云うは[中略]長州にて桂小五郎。国家の進退を預かる」
高杉晋作
「当時[慶応二年]天下の人物と云うは[中略]長州にて[中略]高杉晋作。この人は軍事に預かる、この人、下関に出、小倉攻めの総大将」
伊藤九三
龍馬の蝦夷地開拓計画を聞いた伊藤九三を評し
「別に小弟の志を憐れみ、かつ積年の思いもこれ在り。屈せずして密かに志を振い居り申し候」
梶山鼎介
「この人の論はかねて通常人の形ばかり西洋を学ぶ所ではこれなく、本当に彼が学文道に入り、そのうえ是非を論じ申したくとの御論、いやしくも論ぜざる所、小弟には誠におもしろく存じ奉り候」
(平成某年某月某日識)