史跡廻国記
秋田史跡記(一)
京都史跡記(三)
兵庫史跡記(一)
撮影地:秋田市土崎港中央2丁目7
日蓮宗観廣山見性寺。慶長年間(1596年〜1615年)に見性院日行を開祖として創建された寺という。
日行は俗名を宇垣十蔵秀行といい、美濃守を称した人物。大坂の陣後、常陸国佐竹氏へ奇遇し、同氏の出羽国転封にしたがって、土崎の下酒田町(いまの土崎港中央一丁目・土崎港西二丁目あたり)へ同名の寺を建立した。豊臣方として戦死した人々を弔うためと伝えられる。
もともと現在の土崎港中央には法興寺という寺が近世より存在し、明治四二年(1909年)見性寺の同地移転にともない、合併を視野に話しあいがもたれた。しかし、土地をあけわたすかたちで結局法興寺は山形県へ移転し、飽海郡遊佐町にある同名の寺が、かつての法興寺にあたるかと思われる。
写真の山門は県内三楼門の一門にあげられる楼で、法興寺の時代より存在する(ほか二楼は何処の寺か知らない)。寺は仙北郡刈和野畑村銀山から、天明元年(1781年)同地に移転再興され、「精工美観」をうたわれたそうだが、一時荒廃にまかされ、明治末ごろに修復をとげた。
なお見性寺の当地移転については、大正二年(1913年)ないし同一二年(1923年)とするサイトを旅行前の下調べのさい見掛けたが、ここでは『土崎案内記』(明治四五年四月出版)の明治四十二年十月本山町法興寺へ移れり
にしたがった。
(平成二二年一〇月二九日識)