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北前船遭難者の墓・伊多波一族の墓


秋田史跡 H22.09.26(〇〇八)

北前船遭難者の墓・伊多波一族の墓
撮影地:秋田県秋田市土崎港中央2丁目


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 見性寺へむかう道すがらみつけた北前船遭難者の墓と伊多波氏の墓。ご覧のとおり墓地は薮化していて、看板がなければまず気づけないだろう。

 立て看板の配置から、左側の地蔵石あたりが北前船遭難者の墓で、右側の墓標数基が伊多波氏の墓と形状から推測。

 説明文によると、前者は江戸中期の回船問屋「松本屋」が、配下の遭難者を慰霊するため建立したもので、どこ出身のどのような回船問屋なのか、書かれていないので詳しくは不明。「清水次郎長がらみで聞いてことのある屋号だけど、まぁ関係はないでしょう」とか思ったりはする。

 いっぽう後者の伊多波氏とは、山師(鉱山師)として知られる伊多波武助一族のこと。初代武助重行は松坂屋を号する商人で、伊勢国多気郡波多瀬村の出身。出羽国秋田郡岩瀬村には元禄年間に移住したとされ、藩内随一の資産家としても知られる。

 後年『東遊雑記』に板場武助と称す豪家あり。家造りも至って美々しく、かかる辺鄙にも都がたにも稀なる家もあるやとおのおの立ち止まり見物せしほどなり。高一万石余り、富饒もて、今佐竹候御用達にて、鑓・乗馬等御免にて士格なりと、古川古松軒が感心するほどの屋敷を岩瀬村にかまえる一方、当地(いまの土崎港中央4丁目2あたり)には佐竹家から屋敷を拝領し、港の警衛に金銭を資いしかたがた、魚物問屋などをいとなんでいる。

 説明文によると、維新後の混乱期に一族は財宝を土崎のどこかへ隠して北秋方面に退去したんだとかどーとか。「信じる気にはならんわな」、というのが率直な感想。

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(平成二二年一〇月二九日識)

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