史跡廻国記
京都史跡記(三)
大阪史跡記(一)
兵庫史跡記(一)
撮影地:大阪府高槻市城内町
高槻市立第一中学校のグラウンド西側入口あたりにたっている「工兵第四聯隊跡」碑。明治四十二年(1909年)から昭和二十年(1945年)までのあいだ、高槻市におかれていたもので、現在はレンガ造りの営門(写真では碑の左後方に見えるのがソレ)とコンクリート造りの哨兵所(碑のうしろになって見えない)がのこる。
同連隊は大阪城に司令部をおいたことでも知られる、軍第四師団に所属していたようなので、支那事変・大東亜戦争(現在でいう日中戦争)では中華民国北部、大東亜戦争(太平洋戦争)ではフィリピン方面に出張っていたものだろうか。かたわらの説明板によると「大陸戦線へあるいは太平洋戦域へと幾多の兵士が出動」したとのこと。当方、くわしくことは知らない。
(平成某年某月某日識)