史跡廻国記
京都史跡記(三)
大阪史跡記(一)
兵庫史跡記(一)
撮影地:大阪府高槻市城内町
写真は高槻城跡をしめす石碑で、台座の石もその城用材からのものとか。碑はこのほかに城跡公園の北入口付近にもみえるが、前記「用材から」との理由につき、所縁上コチラの写真をば掲載します。
くだん高槻城の存在が史料上からもある程度みえてくるのが14世紀、入江春延が北朝方の将として入城したあたりからで、その入江氏が以後十二代居し、和田惟政・高山氏二代・豊臣家直轄・新庄直頼・徳川家直轄・内藤信正・土岐氏二代・(形原)松平家信・岡部宣勝・(形原)松平康信・永井氏十三代とつづいて廃城、明治七年(1874年)鉄道の敷設に用材拠出の目的で破却された。
現在、城の遺構としては後述する市内本行寺の高麗門と先述した永井神社唐門があり、ほかにも遺構と伝承される建築物がいくつかはある由。
(平成某年某月某日識)