史跡廻国記
京都史跡記(三)
大阪史跡記(一)
兵庫史跡記(一)
三十六町(約4km)を一里とする一里塚は中世末、織田信長により始められたものとも、豊臣秀吉により始められたものともいわれるが(ただし里程標・道しるべの類は織豊時代以前にもある)、それはやがて度量衡政策の一貫として徳川幕府にもひきつがれ、諸街道にひろく実施された。
塚は名のしめすとおり、街道上一里ごとにきずかれた塚のこと。目印として盛り土に榎や松などの植物がうえられ、旅行者にとってもよい目印とされたが、街道のつけかえや荒廃にはイチイチ対応はせず、次第その機能を失い自然廃絶したものがおおい。
そのため写真のように残っている例は当然ながら貴重な部類。ふと「羽州街道沿いにも一里塚の遺構ってまだのこってるのかな?」と自身の地元の例が気になった。
(平成某年某月某日識)