史跡廻国記
京都史跡記(三)
大阪史跡記(一)
兵庫史跡記(一)
撮影地:大阪府高槻市上土室1丁目
この日(5月18日)最後の訪問史跡で住宅・団地のまっただ中にある「ハニワ工場公園」こと新池遺跡。当初の無謀な予定では、阿武山古墳や茶臼山古墳(所謂「三嶋藍野陵」)などにもまだ行きたかったんですけど、ここで流石に時間切れ。
同所は市営の公園らしく、園地内には発掘された遺跡・復元した窯・復元ハニワ像など十数基以上が設置される力のはいった施設です。
一方で遺跡としては、5世紀中頃から6世紀中頃まで稼働していたハニワの窯跡であり、文献的には欽明紀二十三年条(561年)に記される「摂津国三嶋郡埴盧」に比定されている。
そこで5世紀なかばというとハニワ発掘例の3世紀から遅れること約1世紀、記紀であれば雄略朝(安康紀三年-456年即位)あたりが、6世紀なかばまでなら仏教公伝の欽明朝(539年〜571年)がその区分として思いうかぶ。もっとも、どのような経緯で当地に窯が設けられ且つ廃されるにいたったのか、こまかいことを当方知らない。
「畿内で古墳時代の終焉もちかい6世紀なかばともなれば、単純に需要の減少が廃された主な理由かもしれないけど、仮にハニワの製造が止んだとしても、窯自体なら再利用の方途くらいありそうな気もする。祭祀物の窯と生活具の窯を一緒にするのを忌んでのことなのかね?」と考えたりする。
(平成某年某月某日識)