space_space.gif
 龍馬堂>>史跡廻国記>>大阪史跡記(一)>>大坂史跡 H20.05.18(四)>>闘鶏野神社 
space_space.gif

大阪史跡記(一)

大坂史跡 H20.05.18

LinkMark其之一

LinkMark其之二

LinkMark其之三

LinkMark其之四

大坂史跡 H20.05.19

LinkMark其之一

大坂史跡 H20.05.20

LinkMark其之一

大坂史跡 H20.05.21

LinkMark其之一

史跡廻国記

LinkMark秋田史跡記(一)

LinkMark福井史跡記(一)

LinkMark三重史跡記(一)

LinkMark京都史跡記(一)

LinkMark京都史跡記(二)

LinkMark京都史跡記(三)

LinkMark大阪史跡記(一)

LinkMark兵庫史跡記(一)

LinkMark山口史跡記(一)

LinkMark高知史跡記(一)

LinkMark鹿児島史跡記(一)

私事

LinkMark自己紹介

LinkMark史跡廻国記

LinkMark古典覚書

space_space.gif

闘鶏野神社


大坂史跡 H20.05.18(〇四三)

闘鶏野神社
撮影地:大阪府高槻市氷室町6-1-9

 仁徳紀六十二年条、額田大中彦皇子による闘鶏野氷室発見地に鎮座するらしい闘鶏野(ツゲノ)神社。ただ延喜式によるかぎり、摂津国に氷室はもうけられていないので、実際当地が伝承の場所かは保証しない。一般に上条の闘鶏野は大和国山辺郡都介郷(現奈良県奈良市都祁地区)のこととされており、私的にもソッチが妥当かと考える。

 社の説明板によると、名は鶏鳴が神託をツゲることに由来するらしいのだが、ツゲ乃至ツケの地名は近畿・中部を中心にひろく分布する地名だけに、この由来譚は付会かと憶測。ふるく柘植(ツゲ)ならば万葉集にも登場する古代からの植物なので、「その群生地か?」と想像するも、ココに群生していたなんて根拠を私は知らないし、かといってほかの同類の地名(奈良市都祁新城市黄柳野中津川市付知町など)と比較した場合、その地形が似ているというわけでもなさそうだ。

 最終的に、境内背後に鎮座する闘鶏山古墳、近隣の今城塚古墳・岡本山古墳・弁天山古墳・番山古墳など当地の古墳群にちなみ「塚(tuka)野から闘鶏(tuge)野への転か?」と思ったものの、塚という語の使用例を上古已往にさがすのは無理っぽい気がした(ただし未精査)ので、結論をえず考えを止む。
 ただ、この線でいけば当地のツゲノは"塚"の使用以後に転化した地名ってことになるわけで、「やはりツゲノの称が何時うまれたのかハッキリしない限り、この憶測にだって何もいえん」とは私の心中。

 なお当社の旧名は説明板によると「八幡大神宮」(高速道路沿い南西に、いまも同じ名の社がある)だったらしく、創建年代は不明。おもな祭神は天照大御神・応神天皇・額田大中彦皇子などなど。参道が高速道路を高架している珍しい神社です。

space_space.gif

space_space.gif

(平成某年某月某日識)

mark_utarntop.png PageTop 

space_space.gif
space_space.gif
 龍馬堂>>史跡廻国記>>大阪史跡記(一)>>大坂史跡 H20.05.18(四)>>闘鶏野神社 
space_space.gif