史跡廻国記
京都史跡記(三)
大阪史跡記(一)
兵庫史跡記(一)
撮影地:大阪府高槻市氷室町6-1-9
仁徳紀六十二年条、額田大中彦皇子による闘鶏野氷室発見地に鎮座するらしい闘鶏野(ツゲノ)神社。ただ延喜式によるかぎり、摂津国に氷室はもうけられていないので、実際当地が伝承の場所かは保証しない。一般に上条の闘鶏野は大和国山辺郡都介郷(現奈良県奈良市都祁地区)のこととされており、私的にもソッチが妥当かと考える。
社の説明板によると、名は鶏鳴が神託をツゲることに由来するらしいのだが、ツゲ乃至ツケの地名は近畿・中部を中心にひろく分布する地名だけに、この由来譚は付会かと憶測。ふるく柘植(ツゲ)ならば万葉集にも登場する古代からの植物なので、「その群生地か?」と想像するも、ココに群生していたなんて根拠を私は知らないし、かといってほかの同類の地名(奈良市都祁・新城市黄柳野・中津川市付知町など)と比較した場合、その地形が似ているというわけでもなさそうだ。
最終的に、境内背後に鎮座する闘鶏山古墳、近隣の今城塚古墳・岡本山古墳・弁天山古墳・番山古墳など当地の古墳群にちなみ「塚(tuka)野から闘鶏(tuge)野への転か?」と思ったものの、塚という語の使用例を上古已往にさがすのは無理っぽい気がした(ただし未精査)ので、結論をえず考えを止む。
ただ、この線でいけば当地のツゲノは"塚"の使用以後に転化した地名ってことになるわけで、「やはりツゲノの称が何時うまれたのかハッキリしない限り、この憶測にだって何もいえん」とは私の心中。
なお当社の旧名は説明板によると「八幡大神宮」(高速道路沿い南西に、いまも同じ名の社がある)だったらしく、創建年代は不明。おもな祭神は天照大御神・応神天皇・額田大中彦皇子などなど。参道が高速道路を高架している珍しい神社です。
(平成某年某月某日識)