史跡廻国記
京都史跡記(三)
兵庫史跡記(一)
山口史跡記(一)
撮影地:下関市彦島迫町5丁目12/関連リンク:彦島八幡宮
社伝によると、河野通次が平治元年に宇佐神宮からの分霊によって創建したとされる神社。都で保元の乱にやぶれた河野通次は、当地へと落ちのびて土着し、当社の前身される「光格殿」を舞子島(神社がら道路をへだてた西方、現在は埋めたてられ、三井金属グループ彦島製錬株式会社の地になっている)にもうけ、正平四年(1349年)に祭神のお告げによって現在地へ移鎮したという。
この通次は、治承・寿永の乱における河野氏の代表的人物、通清より前の年代の人にあたり、そのため知名度に問題があるのか、手もとの資料(河野氏系図)には名がみえず、私には人物像がよくわからない。しかし、当地では彦島開拓の祖として、その後裔を名乗る人もおおいのだとか。神社はさしずめ、開拓鎮守の神という位置づけなのだろう。
神社にはとりあえず、今回の史跡はじめということもあり、旅の安全と神社にきたさい祈ることにしているテンプレ的お祈り(鎮座地繁栄、国家隆盛、皇室安寧、家族安全)をして境内を移動する。
(平成二三年一一月二六日識)