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仲哀天皇駐蹕遺跡之碑


山口史跡 H23.10.31(〇〇二)

仲哀天皇駐蹕遺跡之碑
撮影地:下関市彦島迫町5丁目12/関連リンク:彦島八幡宮

  • 年代:記紀神話
  • 同域史跡:彦島八幡宮

 彦島八幡宮境内にたつ「仲哀天皇駐蹕遺跡之碑」。目耳になれない駐蹕(ちゅうひつ)とは、天子が行幸において乗輿を一時的にとめることをいう。全国各地にいまもみることのできる「明治天皇御駐輦碑」とは、字こそちがえど性格的にはおなじものである。

 つまり日本書紀に筑紫の伊覩県主の祖五十迹手、天皇の行すを聞りて[中略]長門の引嶋に参迎へたとみえる引嶋(=彦島)での駐蹕地が、当社に比定されているわけである。

 この妥当性や根拠については、説明書きの立て看板もとくにみつけられなかったので正直よく解らないものの、昭和三三〜三四年(1958〜1959年)ごろ下関市彦島迫町五丁目(つまりここ)に発見された縄文中期の「宮の原遺跡」が、これと関連しているのだろう。

 なお仲哀天皇は神武天皇から数えて一四代目にあたられる、タラシナカツヒコとも称される帝で、世間的にはヤマトタケルノミコトの御子、ないし神功皇后の夫としてこそ著名かも知れない。

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(平成二四年一月一一日識)

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