関連本など
雑感・感想
タイトルに名の見えていない本書の主人公 牟田文之助は天保元年(1830年)年生まれの佐賀藩士。激動の幕末維新期を生きた人物とはいえ、政治活動に率先身をていしたタイプでもないので、剣術や剣客に興味ある人、地元佐賀の人でもなければ、まず知らないだろう人物。
本書に描かれるのは、牟田文之助『諸国廻歴日録』を下敷きとして展開される幕末期における所謂「武者修行の旅」の実像である。記述は淡々と彼の記すところを引用するのではなく、内容を現代文風の会話に書き改めてみたり、心情描写をおりおりに混ぜてみるなど学術張った雰囲気とはだいぶ遠く、時代モノが好きな人・興味ある人にかるい気持ちでオススメできる比較的ライトな書き振りになっている。逆に言えば、どこまでが日録本来の記述に基づいていて、どこからが著者の補足に成る部分なのか、当然だが判然とはしないので(ただし巻頭の「はじめに」によると内容をゆがめるような創作はしていない
由)。
牟田文之助は名を高惇といい、宮本武蔵の流れくむ二刀流の剣術「鉄人流」の剣客。佐賀藩で剣術師範をつとめる吉村市郎右衛門の二男として生まれ、のち同藩の牟田家に養子入りした。嘉永五年(1852年)数え歳二三にして実父と別師 内田庄右衛門(流派おなじ鉄人流)の二人から流派の皆伝を授かり、翌年九月から安政二年(1855年)九月まで諸国遊歴の武者修行に出ている。その旅のあいだ各国諸藩を精力的にめぐり、立ち寄った各地の藩校や道場の模様を筆まめに日記へとまとめたのが件『諸国廻歴日録』である。この記録は彼時々の生活模様はもちろんのこと、立ち寄った道場の規模や造り、立ち会いの感想など、なかには当時の有名道場も多いだけに貴重な記述が散見される(ちなみに道場の構成や立ち合いの感想は本書に別表としてまとめられており対比もしやすく至極便利)。
本書のなかで著者の永井義男氏は剣術をスポーツ化という流れと視点で捉え、牟田の接した当時の風俗について、現代人にありがちな思い込みや勘違い・疑問などを念頭に種々解説を試みる。この辺はヘタすれば事実の羅列や単純な指摘のみにもとどまり兼ねないテーマを巧みに読ませるのは著者の力量がなせる業なのだろう。挿話の形で各章の合間に入れられるコラムは、剣術にまつわる著名なエピソードや一般イメージとの相違などなど、その解釈や語り口には(私としては)共感できる点が多く面白かった。
先日、大石学『時代劇の見方・楽しみ方』という大河ドラマの時代考証を主題にすえた所謂"見方"本を読んだあとだけに(手前勝手にも)思うのだが、楽しみ方として史実とシナリオ上(作劇上)の近いをあれこれ語られるより、文化や風俗など時代の世界観にまつわる指摘の方が、個人的にはのめり込みやすかった。人物を主題とした考証説明であれば、対象人物の伝記や舞台となる時代史を読んでしまえば一往粗々とはいえ相違をつかめるのに対し、文化・風俗は個々に内の主題が独立するため中々一筋縄でというわけにはいかない。本書はその点「剣術」と「旅」にピンポイントでフォーカスがされている何気に貴重な書籍だと思われる。初学のうちに読んでおけば何かと有益な本、主題に興味ある人には是非一読をすすめたい。
朝日新聞出版:2013年8月25日:1,600円(税抜)
(平成ニ五年九月二八日識)