史跡廻国記
秋田史跡記(一)
京都史跡記(三)
兵庫史跡記(一)
撮影地:秋田県秋田市土崎港相染町大浜
現在の土崎港相染町字大浜地区の海岸部をのぞむ。
安政元年(1854年)三月に軍事御用係吉川久治の指揮によって、長さ二百間(1,82m換算で約364m)、幅二間(約3.64m)の台場が、ここ土崎港町浜に造営されている。
時間不足で正確な場所までは特定できなかったものの、「海岸線なら当てハズれにはなるまい」と上景を撮影。あたりはちょうど雄物川(現「旧雄物川」)の河口部にあたり、台場設置の常石にもそっている。
台場は四日間の工期に人夫を四万三千人ほど動員して(延べの人数だろう)完成させたものというから、かなりの突貫工事だったかと想像される。当時の家老佐藤源右衛門は台場の造営について、土俵ニ而手軽之御拵二而決而不苦候
と述べているから工期がみじかくすんだのもうなずける。
また天保十二年(1841年)の六月晦日、国学者の平田篤胤はここ雄物川河口部に夏越祓えのため来訪。神道学者の一面がつよい彼らしいことをやっている。
一往、いまの河口部方向も撮影はしてみたが、古絵図と現地図を見比べるかぎり、だいぶ埋め立てもすすんでいるようなので、当然むかしの面影はない。
(平成二二年一〇月二九日識)