史跡廻国記
秋田史跡記(一)
京都史跡記(三)
兵庫史跡記(一)
撮影地:秋田県秋田市寺内大畑5-3
他県の例同様、国事殉難者の御魂を和めるべく明治初頭に「招魂社」として創立された秋田県の現護国神社。
創建は明治二年(1869年)八月二八日、官軍戦没者四二五柱を高清水の岡にまつったのがその最初。明治三二年には久保田城跡こと千秋公園に一端は遷座し、昭和一四年(1939年)、時の内務省令にしたがって他の都道府県招魂社と同時に名を「護国神社」にあらためた。翌年一一月一五日、寺内大畑の秋田城跡つまり旧地へ再遷座し、戦後の昭和二二年(1947年)には一時「高清水宮」とも称したが、昭和二七年になって護国神社に復名した。
ザッと書いてみただけでも、かなり変遷いそがしい神社である。
祭神はいうまでもなく、旧藩時代をふくめて国事に殉じた秋田県出身者たちで、その御柱は約三八〇〇〇をかぞえ、昭和二二年には伊弉諾尊・伊弉冉尊を祭神にくわえている。
平成年代の出来事としては同二年(1990年)に、今上天皇の即位礼に反対する人々によって社殿が爆破・炎上されるという事件があり、社殿は翌々年になって再建竣工し現在にいたっている。
平成三年の『警察白書』によると、即位礼当日には全国で四〇件以上ものテロやゲリラ事件が極左暴力集団
の手によって実行されており、この秋田県護国神社放火事件
もそのうちの一つにあたる。テロの動機は大嘗祭の悠紀の国(大嘗祭へ供稲をいだす県)に秋田県がえらばれたゆえと観られている。
思想の左右を問わず、極派は本当始末がわるい。
ちなみに不幸中の幸い、御神体や合祀者名簿(霊璽簿)はこの被害もまぬがれて無事だったそうで、神社には乃木希典の書(秋田来訪時に書いたもの)も伝わっている由。
(平成二二年一二月一九日識)