史跡廻国記
秋田史跡記(一)
京都史跡記(三)
兵庫史跡記(一)
撮影地:秋田県秋田市寺内鵜ノ木
城柵の付属施設としては全国的にもめずらしい古代の水洗厠舎跡。水洗式は全国的にみてもここ秋田城だけという。
用たし後は甕壷などに貯蔵した水を曲物ですくい、それを流しおとす様式でつかわれたらしい。
沈殿槽堆積物(未消化の種子や糞虫の死骸など)の分析から当時の食生活が推測されており、野菜や魚類は熱処理をあまりせずに食べられていたこと、畿内でナジまれた食材をおもに利用し、食生活の在地化はあまりすすんでいなかったとみられること、豚肉を食す習慣のある人間にも厠舎が利用されていた可能性が高いこと、などが指摘されている。
わが国の場合、縄文・弥生の昔ならいざ知らず、豚食は古代において基本的にみられない食習慣とされるので、ここで豚食習慣の人間とは、大陸からの来訪者あたりが想定されることになる。
大陸人の出羽国来着は『続日本紀』・『日本後紀』といった史料上、神亀四年(727年)九月・天平一一年(739年)一一月・天平一八年(746年)・宝亀二年(771年)六月・宝亀一〇年(779年)九月・延暦五年(786年)九月・弘仁一一年(820年)四月、と七たび確認ができ、そのさい滞在場所として、ここ秋田城が利用されたであろうことも重々考えられる線だろう。
撮影しつつ、とりあえず「日本の豚食って、何で古代には廃れてたんだっけ?」とか思考する。
(平成二二年一二月一九日識)