史跡廻国記
秋田史跡記(一)
京都史跡記(三)
兵庫史跡記(一)
撮影地:秋田市寺内神屋敷
古四天王神社から勅使館跡・石龍神社といった史跡を行きすぎて、曹洞宗少林山西来院をさらにこえると、写真の「仙台藩殉難碑」が間もなく右手側(東側)にみてえくてる。
慶応四年(1868年)七月四日以降、城下およびその近郊において秋田藩士らによって殺害された仙台藩士らを悼み、明治三年(1870年)閏一〇月、殺害にもかかわりのあった権大参事吉川類助(慶応四年時の諱は忠安)ら秋田藩有志によって、当碑の前身が建てられた。
橋本宗彦編著『秋田沿革史大成』によると、現在のものは明治二一年(1888年)一一月、勝海舟に筆を依頼した宮城県有志者により建碑しなおされたもので、かつての碑は現在の台座下に埋没されたそうである。
旧碑をわざわざ遺棄して、その真上にあらたな碑を建立しちゃうあたり、事件から二〇年以上たっても癒されない遺恨のふかさがみえてくる。
いたずらに対立を煽っているだけの行為とも、正直これは観えちゃうのだが、それは私が秋田県人ゆえに生じる身内贔屓かもわからんので感想の結論だけは留保する。大人気なさを許せるかどうか、微妙なところではある。
なお当碑にきざまれる人名は順に、志茂又左衛門・佐々徳之進・山内富治・川越新造・内㟢順治・庄司傳三郎・高橋市平・小嶋寅之助・棟方市七郎・志茂丁吉・高橋辰太郎の一一名。事件の側杖をくって亡くなった、南部藩の高橋惣助の名はとりあえずここには見えてない。やはり一緒に葬られてはいないのだろう。
(平成二三年六月一一日識)