史跡廻国記
秋田史跡記(一)
京都史跡記(三)
兵庫史跡記(一)
撮影地:秋田市八橋本町六丁目
うえは慶応四年(1868年)に勃発した戊辰戦争、その東北戦線で亡くなった官軍戦没者のねむる全良寺の官修墓地。写真は墓域の入口から右手側を撮影したものである。
境内にたてられた平成一二年(2000年)二月記年の看板によると、当初五二三基六六五霊あった墓は、現在遺族らによる改装などにともない、三二三基三九五霊に減じているそうである。
全良寺は、秋田藩財政の基礎をきづいたことで知られる渋江内膳政光の菩提寺。ここには秋田史に名をのこしたローカル著名人の墓がおおく、荒川秀種・小野崎通亮・金輪五郎など、幕末維新期にかぎってもまだけっこうな数をあげることができる。
ゆえに埋葬された人々の名前をあらかじめリストアップし、用意までしてきたのだが、「地方史で有名な」という程度で個々人の墓案内などされていようはずもなく、この日は墓域のわかりやすい官修墓のみグルグルとまわり、碑銘と手持ちの資料を対照しいしい御参りをする。
ちなみに墓地が官修になったのは明治二八年(1895年)のことで、それまでは寺の住職であった大内海山(明治一〇年-1877年-没)と石工辻源之助ら有志の努力によって造営・維持されたものである。いまでは墓域に西南諸藩から寄贈された石灯籠や手水鉢がおおくのこり、往時の絆を想像させないこともない。
当日は酷暑のあおりで大きなクモやその巣に阻まれ無駄に苦労した印象。
(平成二三年六月一一日識)