史跡廻国記
秋田史跡記(一)
京都史跡記(三)
兵庫史跡記(一)
撮影地:秋田市旭北栄町
写真は曹洞宗義峰山鱗勝院の山門。明治一九年(1886年)大火で焼失した旧山門にかわり、久保田城の裏門(二層の楼門だったもの)を解体し移築したものである。
久保田城も当時は明治一三年(1880年)の火災のため、藩政期以来の建築物をほとんど失っており、健在だったのは今なお城跡にのこる御物頭御番所と、くだん裏門だけだったという。この点、当院と佐竹家の縁づよさが察せられる話しだ。
鱗勝院はもともと元徳年間(1329〜1332年)に佐竹義直(佐竹家にはこの人のほかにも2〜3人以上の「義直」がいる)によって常陸国へ創建された寺院。佐竹家の秋田転封にともない出羽国仙北郡六郷へ移転したが、寛永四年(1627年)二代目藩主義隆の姉保徳院が亡夫と一門の菩提寺として現在地へうつした。
当院も全良寺とならんでローカル著名人の墓がおおく、家老クラスの人物のほかに、幕末維新期だけでみても後藤敬吉・荻津勝章・金大之進・佐藤時之助など、けっこうな数の墓がみえる。
もっとも、手がかりもなしに彼らの墓を探しだす気など、わたしには当然おころうはずもなく、ここもそのままにしてとりあえず退く。
(平成二三年六月一一日識)