史跡廻国記
秋田史跡記(一)
京都史跡記(三)
兵庫史跡記(一)
撮影地:秋田市大町四丁目
写真の駐車場になっているあたりが赤津寺子屋の跡。
ここにはモノの本によると「日本七大寺子屋」の一つにも数えられる(のこりの六大寺子屋が何処をさすのか、わたくしは知らない)大規模な寺子屋があった。ここは江戸中期に活躍した赤津盛正を初代として、代々赤津家の人々により運営された寺子屋ゆえに、便宜上「赤津寺子屋」とか「赤津塾」と世には呼称される。
最盛期は幕末の三代目盛考から四代目盛理のころにあたり、当時は四〇〇人をこす子弟たちが面積四間×二五間の二階だて建築で読み書きを習ったされる。
授業は七歳から一二歳までの男女をあいてに(建物一階が男子用、二階が女子用の教室)、いまの午前七時ころから午後二時ころまでおこなわれ、礼儀厳しく習字・読書を中心とした勉強がくまれた。
幕末期、大雑把に江戸における寺子屋就学率は七割から八割といわれ、関東諸藩では四割から五割程度と、日本の就学率の高さは同時代の他国と比較しても特筆すべきものとして、いまではかなり有名な話し。秋田藩もこの点だけは人後に落ちない程度にはがんばっていたようである。
「現代でも小中学生の成績だけは全国的にも、秋田県は悪くないしね」と、安易に思わないこともない。
(平成二三年六月一一日識)