史跡廻国記
秋田史跡記(一)
京都史跡記(三)
兵庫史跡記(一)
撮影地:秋田市大町五丁目
秋田市大町五丁目と同中通五丁目のあいだにかかる、その名も「五丁目橋」というそのまんまの橋。慶応四年(1867年)七月には、秋田藩士らによって斬殺された仙台藩使節らを晒し首にしたところとして著名。
当時の掲札には会津容保積年暴逆、奉悩宸襟候而已歟、慶喜伏見暴働ノ謀主ニ候處、仙台彼ニ左袒シ、逆意ヲ恣ニシ、剰ヘ輪王寺入道法親王ヲ□シ奉リ、除姦ヲ名トシ尊氏ノ悪例ヲ学ビ候段、実ニ天地ニ容レザルノ悪賊ナリ、之ニ依テ厳命ヲ奉ジ、大義ヲ唱ヒ賊使ヲ戮シ軍門ニ梟首セシムル者也
(『秋田沿革史大成』)とみえており、あともどりの許されない秋田藩の官軍参戦体勢がしめされた。
橋の西詰には平成一二年(2000年)にもうけられた観音像がたち、台座にはこの観音像は秋田戊辰の役に先立つ慶応4年7月4日、この地で殉難された仙台藩士を供養し、川反をこよなく愛した先人に感謝し、慰霊するために、多くの方々のご芳志により建立するものです
ときざまれ、往事の鎮魂にともされている。
戊辰戦争における仙台藩の戦略および行動には、正直同情しないし出来ないのだが、犠牲者は何時の世でもつねに悲しい哀れかと思える。
(平成二三年六月一一日識)